美味しい葡萄あってこそのワイン 極上のワインの文化を堪能旅 勝沼
豊かな自然、歴史と文化に彩られた果樹園のまちである山梨県・甲州市勝沼。
日本の代表的な白ワインといえば、甲州ぶどうを原料として醸造した「甲州ワイン」。
そんな素晴らしいぶどうとワインに出会う前に歴史と文化の視点から見つめてみませんか。
この記事の目次
ぶどうを育んだ勝沼の風土やぶどう狩りで知っておきたいポイントとは
勝沼のぶどう畑をつくりだすポイントとはなんでしょうか。
まずぶどうには生食用にぶどうと醸造用に向くぶどうの二つの特徴に分かれます。
生食用に向くぶどうは粒が大きく酸味が少ない。また、実離れ、種離れがよくて食べやすい事が特徴です。
醸造用に向くぶどうの特徴は粒が小さくて果皮が厚く、糖度や酸味が凝縮していること。
果皮と果肉の間の部分は最も糖度が上がる部分であると同時に、果皮の厚みや色の濃さはワインに抽出
される風味に直結するところでもあります。
そして、痩せている土地で斜面が急で雨量が少ない。こういった土地は美味しいブドウが育つ条件であるといえます。
この条件を満たしているのは勝沼の恵まれた風土なのです。
そんな勝沼の中でも「鳥居平(とりいだいら)」という土地について、最近ではこの場所から収穫される甲州ぶどうのワインにも注目が集まっています。
ミネラルを含む小石混じりの粘土質土壌がもたらすぶどうの濃縮した力強い味わいは、そのままワインの厚みへと反映されます。
”鳥居平”というキーワードに注目してワインを選んでみてくださいね。
しかし、他の地域も負けていません。
私の訪れた(有)ぶどうばたけのぶどうは
どの種類のぶどうも個性が強く、甘さとバランスが絶妙でした。
生食のぶどうは48種類あるといわれています。その中でも絶大な人気が紫紅色で果粉が多く、独特の色沢を持つ”甲州”
糖度が高く酸味も適当な「ベーリーA」だそうです。
もちろん、購入することもできます。
7月下旬から11月上旬まで、ここではぶどう狩りや食べ放題、が楽しめます。
詳しく説明しながら、ぶどう狩りマイスターが楽しく教えてくれるので、とてもおすすめです。
ぶどうばたけをおすすめするポイントの一つ。それはヤギと触れ合える事です!
4体いますが、まだみんな0歳。とってもかわいい!
このヤギたちもしっかりぶどう栽培で重要な役割を果たしています。ぶどう畑は高さが低く、機械が入って掃除をすることが難しいのです。
機械の変りに掃除をしてくれるのがヤギたちなのです。
ぜひ、訪れてヤギたちとも触れ合ってみましょう。とてもおとなしく、人間に慣れています。
(有)ぶどうばたけ 所在地:山梨県甲州市勝沼町菱山1425
URL http://budoubatake.net/
勝沼のぶどうとワインはどこから来たのか 2つの伝説と2人の有志
JR中央線勝沼ぶどう郷駅から車で7分。ぶどうの国文化館を訪れました。
ぶどうはそもそもどうやってきたのか。ふと、疑問に思いますよね。
勝沼では2つの伝説がいい伝えられています。
1つ目は行基伝説。
718年に名僧行基が甲斐国に来ました。そして勝沼のほとりで結跏趺坐(けっかふざ)し、
満願の日ぶどうを手に薬師如来(やくしにょらい)が霊無(れいむ)となって現れた。そこで行基はその薬師のお姿を刻んで祀ったのが
柏尾山大善寺(かしおざんだいぜんじ)だと言われています。また薬園をつくり、ぶどうを植え、法薬としてぶどうをこの地に広め今日の隆盛に導きました。
2つ目は雨宮勘解由(あめみやかげゆ)伝説。
鎌倉時代の1186年勝沼町上岩崎(かみいわさき)の「城の平(じょうのだいら)」という山の中で、石尊祭りに村人が集まったところ雨宮勘解由が現れ、山ぶどうの
変性種を見つけました。そして、健久8年には源頼朝に子孫である雨宮織部正は武田信玄へぶどうを献上したといわれています。
どちらも信憑性がありそうですが、実際に行基が来たという証拠はないと教えていただきました。
私は2つ目の伝説を信じます。実際に訪れてどちらが真実か考えてみてくださいね。
そして、葡萄酒を伝えたのが高野正誠(たかのまさなり)と土屋助次郎(つちやすけじろう)。
西暦1877年勝沼では有志が初めてぶどう醸造会社をおこし、2人の若者をフランスへ勉学のため派遣しました。この事業は国もからんでいて、
壮途を祝った大久保内務卿は、天皇から拝領といってシルクハットを2人あげたそうです。
ここではこのような伝説やワインまつわる資料を見る事が出来ます。
私は閉館ぎりぎりの時間に訪れましたが、優しく、温かい職員の方が出迎えてくださり、ブドウ・ワインの歴史についてわかりやすく説明してくださいました。
ぶどう・ワインの歴史を人形を使って再現をしています。とてもリアルに再現されていて、人形の完成度にも驚きました。
有限会社ぶどうばだげを見学した際にブドウの粒を潰す破砕機(はさいき)を見学しましたが、破砕機で作業する姿を見事に再現していたのがとても印象的でした。
現物は見たもののイメージがあまり沸かなかったので、ぶどうの国文化館を訪れてとてもよかったと思います。
また、時間に余裕のある方はぜひ職員の方に質問してみてください!!わかりやすく、楽しく歴史を理解できると思いますので、とてもおすすめします!!
是非一度訪れて、ぶどうとワインの歴史の理解を深めてみませんか。
ぶどうの国 文化館 所在地 : 甲州市勝沼町下岩崎1034
特産品に導いた江戸時代の甲州街道 勝沼や馬子もぶどうを食いながら
さて、西暦1603年江戸幕府が開かれ、五街道の開設をみました。
甲州街道はそのひとつです。 勝沼宿の設置については、西暦1618年に新規に発足したと記録にあります。
江戸後期大小合わせて23軒あり甲府に次いでにぎわいました。
勝沼宿は峡東(きょうとう)の物資の集散場として賑わいました。東に笹子峠(ささごとうげ)をひかえ、旅人たちは勝沼で泊まる人が多く、旅人を 乗せた山駕籠(やまかご)が行き交い、
京屋の三度飛脚なども通りました。
甲州ぶどうを着けた馬荷や生糸荷が季節には頻繁に通っていました。 ぶどう棚のぶどうが豊かに実った宿場でした。
有名な俳句に「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」という句があります。
これは松尾芭蕉が勝沼を訪れた際に詠んだ句です。
名産甲州ぶどうの季節には街道の両側に棚店が並び、ぶどうが売られました。
大籠・姫籠・苞・菰など。 特殊な加工品のなかにはぶどう漬け・ぶどう膏・月の雫・干ぶどうなど、
生果を様々に加工した特産品がつくられ、旅人に喜ばれました。
今の勝沼でぶどうが特産品となったのも宿場のおかげであると思います。
松尾芭蕉も訪れるほど、有名な場所だったことに驚きました。
ぶどうの国文化館の人形の再現された展示を拝見し、当時の様子をみて、にぎわっていた江戸時代にタイムスリップ
したくなりました。
ぶどうの国文化館 所在地 : 甲州市勝沼町下岩崎1034
「文明開化はワインから」 明治時代の勝沼ワインの活躍による発展
1877年帰国した小沢善兵衛(おざわぜんべえ)は果王のパイオニアと呼ばれました。
アメリカ大陸で妻子と開拓に従事、西暦1873年帰国して東京谷中に撰種園(せんしゅえん)を開きました。
欧米から数多くの果樹蔬菜を輸入、農業の近代化につくし、
とくにぶどうの新品種の導入は数百種類に及び、明治以後のぶどう産業発展に尽くしました。
現在、ブドウの種類が沢山あるのは小沢善兵衛のおかげかもしれませんね。
1877年、山梨県甲府城跡地内に葡萄酒醸造所を設立した同じ年に、ここ祝村にも大日本山梨葡萄酒会社が設立されました。
同社は日本における本格的な葡萄酒づくりの原点に位置つけられます。
文明開化の発展はワインからと言っても過言ではありません。
明治の時代に生きた人々の努力の結晶を目にする事が出来ます。
資料ととも明治時代を覗いて見てみましょう。
ぶどうの国会館では当時の数多くの貴重な資料が展示されています。
木でできた看板や当時使われていた瓶など、歴史に目で見て感じてみましょう。
分かりやすい説明文がそれぞれの展示に記載されているため、明治時代を想像することができました。
疑問に思ったことがあれば文化館の係の人にお話を聞いてみましょう。
疑問に思ったこと以外にも沢山楽しいお話を聞けると思いますよ。
ぶどうの国文化館 所在地 : 甲州市勝沼町下岩崎1034
ぶどうからワインまでの濃密な歴史の旅はいかがでしたか。勝沼には歴史がいっぱい詰まっています。
ぶどうの伝説、うるわしのワインの物語どれも魅力的で深く理解したくなりますよね。
ワイナリー巡りの前に知識が増やしておくことによって、違う視点からワインを見ることができるかもしれませんね。