HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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浅草の仲見世通りや伝法院通り かっぱ橋道具街まで 門前町を巡る

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    様々な店や史跡、歴史的建造物を育んできた東京の浅草。
    今回は門前町として発展してきた浅草の魅力的な町を散策します。
    ちょっとした裏道まで、浅草を余すことなく堪能しましょう!

     

     

     

    浅草 門前町の入り口 千年以上の歴史を誇る雷門こと「風雷神門」

     

     

     

     

    <01_asakusa雷門とおり>

     

    やはり東京浅草で外すことのできないのが「雷門(かみなりもん)」です。
    東京駅からJR東海道線で約4分で上野駅を経由し銀座線で約4分の浅草駅から徒歩約3分のところにあります。

     

    <02_asakusa雷門と記念撮影する人>

     

    大きく書かれた雷門という黒字と真っ赤な提灯、そして左右の銅像が印象的で、国内外の多くの旅人が記念撮影をしています。

     


    <03_asakusa風神>門の名前でよく聞くのは「雷門」です。名前だけでは雷神しかいないじゃないかと疑問に思います。しかし雷門の東側には「風神」の像も存在します。

     


    <04_asakusa雷門裏側>


    雷門と書かれた提灯の後ろへ回り込んでみると、なんと「風雷神門」と書かれています。これが正式名称にあたります。

     

    ではいつ頃省略されたのでしょうか。1804~1818年の文化年間の川柳で既に「雷門」表記なのだそうです。
    名前をどんどん短く呼称していく風習が昔から存在したと思うとなんだかほほえましく思います。
    風雷神門は942年に平公雅が建立したという説が有力です。鎌倉時代以降の移築の際、風水害を避け浅草寺の伽藍(がらん)を守護するために風神像と雷神像が安置されたとされています。
    幾度もの江戸の大火にさらされ、二つの像は頭部を残し消失しますが、明治時代に首以下の部分が再度作られました。1865年の火災以来再建されなかった風雷神門も、
    1960年松下電器(現パナソニック)の社長の松下幸之助氏により寄進されました。

     

    <05_asakusa雷門から見た仲見世通り>

     

    浅草駅から徒歩3分ほどなのでぜひ雷門を抜けて浅草へ向かってみてください。

     

    雷門(風雷神門) 所在地 :東京都台東区浅草2-3-1

     

     

     

    門前町として繁栄してきた浅草 浅草寺の参道「仲見世通り」を巡る

     

     

     

     

    <06_asakusa仲見世通り>

     

    雷門をくぐり、浅草寺(せんそうじ)の参道と言えば「仲見世通り(なかみせどおり)」です。
    平日にも関わらず多くの参拝客で賑わっています。仲見世通りは浅草寺の門前町として発展してきました。

     

    <07_asakusa仲見世通り2>

     

    江戸時代に浅草寺に参拝者が増えると、元禄期頃には境内の掃除の仕事を課せられた人々に境内や参道に出店及び営業の特権を保証されます。
    しかし、明治維新期に政府からの所領没収や関東大震災、第二次世界大戦といった人災・天災により町並みの維持について悩まされ続けます。
    その度に建築法を変え、現状を奪われては不死鳥のように復活してきたのが浅草でした。

     

    <08_asakusa仲見世通り 斜め>

     

    現在は250mの石畳に計89の店舗が軒を並べています。

     

    <09_asakusa仲見世通り 裏通り>

     

    一本横へそれると人通りも減りますが、美しい朱塗りが映える裏道もおすすめです。

     

    <10_asakusa仲見世通り 夜>

     

    夜のライトアップも真っすぐな道が照らされて綺麗ですね。
    細かな変遷を時代ごとにたどりながらも元来の姿を残した仲見世通りを、じっくり眺めながらお参りしてみてはいかがでしょうか。


    所在地 :東京都台東区浅草1-36
    公式HP :仲見世通り 

     

     

     

     

    仲見世通りと交差する通り 歌舞伎と関わりの深い浅草「伝法院通り」

     

     

     

     

    <11_asakusa伝法院通り 看板>

     

    南北に伸びた仲見世通りを奥へ進むと、浅草寺の手前で、東西に伸びて多くのお店で賑わった通りに出ます。

     

    <12_asakusa伝法院通り>

     

    「伝法院通り(でんぽういんどおり)」です。
    通りの長さは約200mで、仲見世通りと同じくらい魅力的な通りです。
    仲見世通りが食やお土産中心ならば、伝法院通りは和服を含めた衣服や伝統工芸品を中心とした通りです。

     

    <13_asakusa白浪五人男>

     

    歩いているとふと視線を感じ見上げると、キッとした目のオブジェがこちらを見つめていて声を上げそうになります。

     

    <14_asakusa白浪五人男2>

     

    通りの真ん中に鎮座している方もいます。後ろにはスカイツリーも見えます。

     

    <15_asakusa伝法院通りと白浪五人男>

     

    「白浪五人男」の看板もあります。白浪とは盗賊の意味で、河竹黙阿弥の歌舞伎「青砥稿花紅画(あおとぞうしはなのにしきえ)」に登場します。
    黙阿弥はこの辺りに住んでいたそうです。
    五人全員を見つけながら散歩を楽しめるユーモアにあふれた通りでした。

     

    <16_asakusa夜の伝法院通り>

     

    夜のライトアップはさらに落ち着いた雰囲気になるのでぜひ歩いて日中とライトアップの町を堪能してみませんか。


    所在地 :東京都台東区浅草1-37-8
    公式HP :伝法院通り 

     

     

     

     

    日常的な家庭調理用品が一所に集まる浅草の台所「かっぱ橋道具街」

     

     

     

     

    伝法院通りを西に進むと「国際通り」という大通りに出ます。さらに数本道を隔てると「かっぱ橋道具街」があります。

     

    <17_asakusaかっぱ橋道具街>

     

    かっぱ橋道具街は少し通りを歩いただけでも豊富な調理器具を見かけます。
    なぜ浅草に近いこの場所に「かっぱ」と名付けられたのでしょう。
    諸説は二つあります。

     

    一つ目は「合羽」。昔の伊予新谷の城主の下屋敷にて、小進の侍や足軽が内職で作った雨合羽を橋に天日干ししたというものです。

     

    二つ目は「河童」。約180年前にいた合羽川太郎が始めた洪水対策の掘割工事が進まないのを、河童たちが手伝ったというものです。

     

    <18_asakusaとうしょう窯 内部>

     

    歩いていると素敵な食器のお店「とうしょう窯本店」を見つけました。

     

    <19_asakusaとうしょう窯 商品>

     

    <20_asakusaとうしょう窯 商品2>

     

    <21_asakusaとうしょう窯 商品3>

     

    和風の柄のものから洋風の色とりどりのカップとソーサーまで様々な食器が飾られています。

     

    <22_asakusaとうしょう窯 外>

     

    外に置かれた商品もたくさんあります。外で見かけて気になったら中を覗けるのがこの道具街の良さだと思いました。
    食品サンプルも人気なので自分だけのお気に入りのお店を見つけてみましょう。


    所在地 : 東京都台東区松が谷
    公式HP :かっぱ橋道具


    所在地 : 東京都台東区松が谷3-17-13
    公式HP :とうしょう窯本店 

     

     

     

    浅草の歴史ある通りはいかがでしたか。
    門前町として発展してきた町の大通りから裏路地まで、たくあんの魅力がありました。
    むしろ町の歴史は裏道のような場所にこそ隠されているかもしれません。
    是非訪れてみてください。