上野東照宮と浅草寺を中心に江戸幕府発展に寄与した重要文化財を巡る
東京都台東区に位置する上野・浅草(あさくさ)。
両都市が発展したのは江戸幕府および徳川家からの祈願と支持があってこそでした。
東京都の中に「東」の「京都」を体感することの出来る、徳川家所縁の3つのスポット旅します。
この記事の目次
黄金と極彩色に輝く国指定重要文化財 徳川家康を祀る上野東照宮へ
JR東海道線上野駅から公園内を歩くこと約10分、多くの燈篭が左右に構える「上野東照宮(うえのとうしょうぐう)」の参道に到着します。
上野東照宮は、1616年家康が天海僧正、藤堂高虎と共に鎮魂される場所として依頼されたのが始まりです。
当時藤堂高虎らの敷地であった上野公園内に、天海僧正は東叡山寛永寺を開きました。寛永寺を構成する一つである「東照社」が、1646年朝廷から「東照
宮」として認められ現在の上野東照宮として引き継がれています。
公園内は家族連れも多く賑やかな印象を持っていましたが、参道に差し掛かると神聖な雰囲気に変わります。
上野東照宮の参道を進んだ突き当りに国指定重要文化財の一つ「唐門(からもん)」があります。
唐門は黄金を基調としており、細やかで美しい装飾が施されています。
唐門を進むと巨大な楠(くす)の木が目に飛び込みます。樹齢600年と言われ、幹の太さも8mと公園内随一です。木からも長い時間の流れが感じられました。
楠の木を左手にして右を見ると透塀があります。
透塀の由来は緑の菱形の奥側が透けて見えるからで、動植物の多彩な装飾に覆われています。
さらに透塀を通り抜け10歩ほど進むと上野東照宮の社殿に着きました。
社殿は3代家光により造営替えされ、関東大震災、第二次世界大戦をも耐え抜きました。
上野東照宮の境内の約250ある燈篭は、家光期に全国の大名から奉納されました。
江戸時代初期から約400年続く上野東照宮の、静寂に包まれた世界へ足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?
所在地:東京都台東区上野公園9-88
公式HP:上野東照宮
東京上野に現れた清水寺の舞台 寛永寺清水観音堂を多角的に見る
続いて上野駅から徒歩約5分のところにある寛永寺清水観音堂(かんえいじきよみずかんのんどう)へ向かいます。
その途中約1分のところに上野恩賜公園(うえのおんしこうえん)があります。
温かな日光と落ち着いた緑に囲まれた上野恩賜公園内を進み、清水観音堂の近くにあったのは、上野東照宮建立に関わった天海僧正の毛髪塔(もうはつとう)です。
108歳という長寿を全うした天海僧正の毛髪塚の供養塔です。
天海僧正が1625年に建立したのが寛永寺ですが、清水観音堂は名前のごとく京都の清水寺をモチーフにしたお堂です。
東叡山寛永寺は1625年に天海僧正によって建立されました。
「東叡山」の名は文字のごとく「東」の「比叡山」という意味です。朝廷のために鎮護国家の役割を担った比叡山を踏襲したものです。
寺号は「寛永寺」と創建時の元号が含まれますが、これも比叡山「延暦寺」との共通点になります。
正面側を下から撮影しましたが、実際に見ても清水寺の舞台を彷彿とさせます。
「月の松」とあるのは、このお堂を浮世絵で有名な歌川広重が描いたからで、舞台からの景色は今も不変です。
歴史の良さを肌に感じられる素敵な場所です。
見る角度によって見え方が全然違うのも清水観音堂の特徴です。1990年から6年にわたる改修で文化財保存修理が行われ未来へ保存しようという取り組
みもありました。
様々な時代の有名人により詩や絵に残された、自然と共存してきた清水観音堂まで少しだけ足をのばしてみませんか。
所在地 :東京都台東区上野公園1-29
公式HP:寛永寺 清水観音堂
門前町浅草に必要不可欠 歴史的人物達がこぞって祈願した浅草寺
最後に向かったのは毎日多くの旅人が訪れている浅草寺(せんそうじ)です。
メトロ銀座線の浅草駅から仲見世通りの賑やかな道に沿って歩くこと約10分。
見えてきたのは青空と対照をなす朱塗りの浅草寺です。
浅草寺の起源は約1400年前までさかのぼります。
現在隅田川である川のほとりで檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟が何度も同じ仏像を引き上げてしまい、聖観世音菩薩の尊像と判明する
と、それを土師中知(はじのなかとも)と祀ったことが由緒と言われています。その後も源頼朝・足利尊氏・徳川家康の祈願寺(きがんじ)としても機能してきま
した。
しかし5代将軍綱吉の不興を買い、寛永寺の下の位置づけとなる時代もありました。幕府の手を離れる代わりに住民により大切に守り続けられてきました。
本殿前にある 常香炉(じょうこうろ)の煙を浴びると体の悪い所が治る、頭がよくなるとよく言われますね。
実際には僧侶が自らの体の穢れを払うための一種の儀式とも言われています。
浅草には4つもの赤い大提灯があります。浅草寺本堂にある大提灯には「志ん橋」と記されています。
これはサラリーマンの町と称される「新橋」の方々から2004年に奉納されたものです。思ったより新しくて驚きました。
浅草のランドマークである浅草寺とスカイツリーも同じフレームにおさめることができました。
人々の信仰心は平成になった今でも変わることはありません。
夜になるとライトアップが朱塗りの本堂や五重塔に映えて荘厳さが増します。
いつ何時訪れても賑わいを見せる浅草寺本堂ですが、1日回るのであれば昼夜で雰囲気ががらりと変わる様子を見るのも一興です。
所在地 :東京都浅草浅草2-3-1
公式HP:浅草寺本堂
雰囲気の違う3つの徳川家ゆかりの場所をお送りいたしました。
いずれも徳川家康の時代を契機として発展したものです。しかし、浅草寺に見られるように、必ずしも保護され続けて現在に至ったわけでは
ありません。
担い手がいつの時代もいたからこそ私たちが目にすることができるのだと改めて認識しました。