HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

HISTRIP MAGAZINE icon HISTRIP MAGAZINE

日光の歴史と自然の深い関わり 輪王寺で日光繁栄の秘密を紐解く

  •  

     

     

    766年に勝道上人が日光に訪れ、日光は山岳信仰の聖地として栄えました。自然と信仰の結びつきによって発展した日光は現在、世界遺産「日光の社寺」に登録されています。
    その構成資産に指定されている日光山 輪王寺(にっこうさん りんのうじ)。自然と信仰のシンボルとしての輪王寺の秘密をさぐる旅へ出かけましょう。

     

     

     

    日光山岳信仰を支えた寺院 三仏堂とその貴重な修理現場を訪ねる

     

     

     

    日光は日光東照宮でとても有名ですが、実は山岳信仰の聖地だったことをご存知でしょうか。
    はじまりは、勝道上人が日光山の入口、大谷川のそばに四本龍寺(のちの輪王寺)をたて開山。
    784年に男体山の登頂に成功し、奥宮を建立したことから始まります。
    その後、中禅寺湖畔に中宮を建立し、男体山まで登れない人は中禅寺湖畔の二荒山神社で祈りをささげたというわけで、日光と は密接につながっているそうです。
    早速輪王寺へ訪れてみましょう。

    東京駅から電車で約2時間、東武鉄道日光線の東武日光駅から世界遺産めぐりバスに乗り「大猷院・二荒山神社前」で下車しアクセスが可能です。
    まず目に入る大きな建物が「三仏堂(さんぶつどう)」。
    日光山輪王寺は三仏堂、大猷院、逍遥園など広い範囲に建てられた寺院の総称です。
    中でも三仏堂は日光山 輪王寺の本堂にあたる、非常に重要な仏閣。三仏堂に入るには400円の入場券が必要です。(三仏堂、大猷院とセットの入場券は大人一枚900円。)

     

     

     

     

    <01_nikko 三仏堂>

     

     

     

    本堂の中は入ることはできますが、現在50年ぶりの修理、平成の大修理を行っており、シートで覆われていました。完成は2020年予定だそうです。
    三仏堂は東日本で最も大きな木造建築で、山岳信仰の崇拝の場として平安時代に創建されました。
    現在の形は1645年に徳川家三代将軍、徳川家光によって再建されたものです。

     

     

    三仏堂の中は、赤色で一面が塗られており、入り口のすぐそばには日光を開山し、日光山輪王寺の元となった寺を建てた勝道上人の像が祀られていました。
    日光は山岳信仰で盛り上がった理由としてあげられるのが勝道上人が神仏習合という新しいスタイルの信仰を日光に取り入れたことです。
    このことが日光により多くの人々を集めるきっかけになったのです。

     

     

     

     
    <03nikko 勝道上人像>

     

     

    <04nikko 作業工程パネル>

     

     

     

    本堂内を奥へ進むと三体の大仏が見えてきます。高さは約7.5メートルにもなる、迫力のある金色の仏像です。
    訪れた際は仏像の前で参拝を行いましょう。三仏堂を過ぎるとその先で修繕工事に関する解説を見ることができます。
    完成後の三仏堂のミニチュアや工場の作業工程が記されたパネルが設置されており、歴史的建造物保護のための過程を深く知ることができます。
    歴史を後世につないでいくためにもこうした建造物の保護活動は欠かせないものなのです。

    内部は木造建築が特徴的で、木の匂いなどに古い歴史を感じました。
    日光の美しい自然があったからこそ、この建物も作られ、自然と歴史は常に切り離せない関係にあると改めて実感しました。

    所在地 : 栃木県日光市山内2300

     

     

     

    失墜した信仰を取り戻した徳川将軍の為に創建された大猷院の仁王門

     

     

     

    バスに乗車し、続いて大猷院・二荒山神社前のバス停で下車し、日光二荒山神社方面へ向かいます。

     

     

     

     

    <05nikko 大猷院>

     

     

     

     

    信仰が深かった日光山信仰ですが、戦国時代に天下を取った豊臣秀吉によって領地を荒らされ、信仰心は衰退していきました。
    失われた信仰心を取り戻したのが僧侶の天海大僧正と、徳川家康、徳川家光です。天海幕府に政治に関する助言も行うほど初期の江戸幕府にとって重要な人物でした。
    彼らは日光山信仰を復活させることによって日光の町の活性化試みたのです。天海は家康の芽により日光東照宮の建設に尽力し、さらに日光山の領地をも与えて信仰の復活に努めました。
    家光は周囲の社寺の整備、そして何より家康の霊廟を手厚く保護しました。

    これらによって日光は山岳信仰と家康信仰の場として再び栄えました。
    大猷院の境内は夜叉門、唐門、拝殿、本殿からなっており、拝殿内部は国の国宝に指定されています。
    家光の遺言に従い、大猷院は本殿からは離れた、日光東照宮にほど近い場所に死後約2年でという早さで1653年に完成しました。
    派手な装飾ときらびやかな色彩は東照宮と似たものを感じさせます。

     

     

     

     

    <06nikko 仁王門>

     

     

     

     

    大猷院の拝殿までに、幾つかの美しい門を見ることができます。発券所を通ってまず階段の先に見えるのが重要文化財の仁王門(におうもん)です。

     

     

     

    <07nikko 仁王門アップ>

     

     

     

     

    この門には仏の世界と人の世界を隔てる役割を持っており、美しい朱色が特徴です。

    次に見えてくるのは重要文化財の二天門(にてんもん)です。

    残念ながら現在(2017年9月時点)は修理中でシートに覆われていました。
    門下に持国天と広目天の2点を配していることからこの名前がつきました。

     

     

     

     

    <10nikko 二天門階段>

     

     

     

     

    二天門をくぐってその先の少し急な階段を登ります。大猷院は階段が多いので、ゆっくり建造物を観察しながら登りましょう。

     

     

     

     

     

    <11nikko 夜叉門>

     

     

     

     

    道に沿って階段を上っていくと、重要文化財の夜叉門(やしゃもん)が見えます。

     

     

     

     

     

    <12nikko 夜叉門解説>

     

     

     

     

    霊廟を守る4人の夜叉が配置されており、鮮やかな色彩が目を引きます。怖い顔をしている夜叉像ですが、門を守る神様です。

     

     

     

     

     

    <13nikko 夜叉門装飾1>

     

     

     

     

     

     

    14_nikko-1

     

     

     

    4体のうち青い烏摩勒伽(うまろきゃ)という神様は破魔矢を司る神で、その膝に白い象の装飾が施されています。
    大猷院の住職のお話によると、膝小僧はこの神様から由来が来ていると言われているそうです。またこの夜叉を祀っているのは大猷院だけです。

     

     

    <15nikko 夜叉像>

     

     

     

     

     

     

    夜叉門をくぐり、見えるのが拝殿い最も近い門、重要文化財の唐門(からもん)です。日光東照宮にも同じ名前の門が配置されています。

     

     

     

     

    <16nikko 唐門>

     

     

     

     

    また大猷院の唐門の装飾には龍や獅子、鶴など縁起の良い生き物を模ったものが多く施されているという点も、陽明門によく似ています。

     

     

     

     

    <17nikko 唐門装飾>

     

     

     

     

    日光東照宮は神社で、大猷院は輪王寺に含まれるのでお寺になりますが、徳川家光は東照宮を意識して霊廟を作らせたと考えられます。
    輪王寺 所在地 :栃木県日光市山内2300

     

     

    大猷院の境内にある国宝拝殿と徳川家光の御墓所を訪ねよう

     

     

     

     

    大猷院と日光二荒山神社はほぼ隣り合わせに並んでいます。大猷院(たいゆういん)は死後も徳川家康に仕えたいと遺言を残した徳川家三代目将軍、徳川家光の墓所です。
    唐門をくぐると、国宝の拝殿が現れます。

    外部、内部が金で覆われていて、天井には140の龍の装飾が施されています。

     

     

     

     

     

    <19nikko 拝殿>

     

     

     

    そのうちの数匹は鉤爪に宝玉を持っていて、その龍の真下に座ると縁起が良いとされています。
    拝殿内は撮影が禁止ですが、画家、狩野探幽による屏風絵や、徳川家光が実際に身につけていた甲冑を見学できます。

    拝殿の横を通り、重要文化財の皇嘉門(ふりがな)へ向かいます。

     

     

     

     

    <20nikko 拝殿横>

     

     

     

     

    <21nikko 皇嘉門>

     

     

     

    この門の先に徳川家光の墓所がありますが、中は非公開となっています。
    家光も家康同様に、丁重に祀られていることがよくわかります。

    大猷院は一部修理を行っていますが、その輝きと美しさは日光を代表するにふさわしい歴史的建造物です。
    大猷院は三仏堂とは異なって非常に派手な印象を受けました。金で塗られた建物や繊細な装飾など、日光東照宮に似た建築物が多く、徳川家光が祖父の家康を慕って、大猷院が完成したのかもしれません。また徳川将軍家の中でも家光が最も日光の社寺の修繕や改築に携わっており、日光山信仰の信者たちからも暑い信頼を寄せていたために作られた建築物でもあると思いました。

     

     

     

    輪王寺 所在地 :栃木県日光市山内2300

     

     

     

    360度の絶景とは 歴史上の偉人を魅了した日光山輪王寺の逍遥園

     

     

     

    東武日光駅から バスで約10分。続いて三仏堂の反対側にあり、紅葉の名所にもなっている逍遥園(しょうようえん)を訪れました。

     

     

    <22nikko 逍遥園>

     

     

     

    江戸初期に輪王寺門跡の庭園として小堀遠州という庭師によって造園されたと言われています。時代が下ると同時に少しずつ改造が行われていき、現在は明治時代に作られたものがほとんどです。
    逍遥園の面積は3200平方メートル(約1000坪)もあり、どの方角からも美しい植木、川、そして庭石を見ることができる「池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)」が特徴です。庭の中には一般の方は中に入ることはできませんが、茶室も設けられています。

     

     

     

     

    <23nikko 逍遥園池>

     

     

     

    <24nikko 茶室>

     

     

     

    庭園中央の池は琵琶湖を模したとされ、周囲の植木は季節によって表情を変えます。
    入り口付近には自然の水がそのまま飲料水として設備されています。水が綺麗な日光ならではの設備です。

     

     

     

     

     

    <25nikko 飲料水>

     

     

     

    逍遥園は木戸孝允やアメリカの元大統領グラント将軍ら多くの著名人を魅了してきました。著名人の訪問は町の繁盛につながります。
    また現在でも10月から11月にかけた紅葉シーズンには夜間のライトアップを行うなど、多くの旅人を魅了しています。

     

     

     

     

    <26nikko 逍遥園小道>

     

     

     

    庭園内は非常に静かで、落ち着ける空間が魅力的でした。また花ではなく植木で庭を美しく見せている点も、日本らしい庭園だと感じるポイントだと思います。庭園の隣には輪王寺宝物殿があるので、そちらにも是非足を運んでみてください。

     

     

     

    日光山 輪王寺 所在地 : 栃木県日光市山内2300

     

     

     

    日光山 輪王寺には日光のまちを支えた自然信仰が大きく関係しています。

    皆さんも実際に足を運んで、自然と歴史の関わりを実感してみてはいかがでしょうか。