誰かに話したくなる歴史がそこにある源頼朝と鎌倉の秘密に迫る歴史旅
神奈川県の鎌倉といえば、鎌倉幕府。この歴史を抜きにして鎌倉は語ることはできませんね。
ここでは、源頼朝やその周りの人々と、鎌倉がどのようにつながり、現代の鎌倉の形成に至ったのか、紹介したいと思います。
この記事の目次
鎌倉の代表「鶴岡八幡宮」と源頼朝の切っても切れないつながりとは
鎌倉に来て、ここに観光に来ない人はいないほど、人々に愛されている鶴岡八幡宮。
鎌倉駅東口を出て、小町通を突きあたってからすぐの場所に位置しています。
もともとは1063年、今日の石清水八幡宮をお祀りし、源頼義によって由比ヶ浜(ゆいがはま)に建てられました。
源頼朝は、鎌倉に入ったとき、この神社を武家づくりの中心に据え、現在の場所、鎌倉に移しました。
よって、ここは武士の守護神として称えられ、今ではそれにちなんで勝運や出世運にご利益があるスポットとしても人気を高めています。
鳩みくじで運試しをされる方もたくさんいらっしゃいます。
大きな上下の両宮は鎌倉幕府が開かれたころから鎌倉の中心として構えていました。
本殿に向かう大石段の下にある舞殿は、鶴岡八幡宮の最も特徴的な建物です。
下拝殿とも呼ばれ、鶴岡八幡宮のさまざまな儀式を執り行う場所です。静御前が義経を慕って舞った若宮廻廊があったところといわれています。
61段の大石段を上がると、鶴岡八幡宮の中心となる本宮があります。
朱塗り二層の立派な楼門は圧巻です。「八幡宮」の額の「八」の字は、向かい合う鳩の形をしています。
細部まで工夫がされていますね。
また、本殿のそばには、それを見守るかのように推定樹齢1000年の大銀杏が控えていましたが、2010年の強風により倒されてしまいました。
しかし、今でもその面影は残っており、八幡宮の大切な守り神として大切に保管されているのです。
鶴岡八幡宮 所在地 : 神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
こんなところにお寺が!銭を洗うとご利益?銭洗弁財天の秘密に迫る
北鎌倉から、夏でも少し涼しく感じられるような道を約20分歩くと、険しい小さな山道の末、現れるのが銭洗弁財天。
弁財天ちえば日本三大弁財天ですね。
神奈川県の江ノ島、広島県の厳島神社、そして滋賀県の竹生島神社そんな代表的な弁財天が近く江ノ島にあるなか、ここ銭洗い弁財天も負けていません。
早速訪れてみましょう!
住宅地を超えていくにもかかわらず、観光客でにぎわっており、レンタル自転車で通る外国人の姿も。
銭洗弁天誕生のきっかけは、鎌倉幕府が開かれる前、1185年に源頼朝が見たお告げの夢にて佐助ヶ谷の岩壁に沸く霊水の発見して宇賀神を祭ったのがきっかけだといわれています。
そのお告げが鎌倉幕府のもとにもなるのですから、この銭洗弁天、源頼朝を語る上では決して無視できないスポットです。
金運アップのパワースポット鎌倉で出会った「銭洗い弁財天」を楽しむ
現在では銭洗弁財天宇賀福神社は、お金を洗うと何倍にも増えて戻ってくるといわれる霊水「銭洗水」が湧く神社とされており、多くの観光客がにぎわいをみせます。
また、この霊水で北条時頼が銭を洗い、一族の繁栄を祈ったのが、お金を洗うきっかけになったといわれています。
お札を洗うときは、ざるにお金を入れて柄杓(ひしゃく)で3杯ほどお水をかけて清めます。
ビニールで覆ってお札の端が濡れる程度にするそうです。
洗った後のお金をどうするのかというと、諸説あり、
洗ったお金は使用してはいけないという説。折角のご利益がなくなるだけではなく、金運の神様から見放されてしまうようです。
洗ったお金はすぐに使用しなければいけない説。霊水で浄めたお金は世の中に回すことで、その福がやがて巡ってくるようです。
訪れたとき、多くの観光客がお金を洗って楽しんでいました。
ぜひ金運アップのパワースポットに訪れてみませんか。
所在地 : 銭洗弁財天 神奈川県鎌倉市佐助2-25-16
源頼朝の歴史を感じながら鎌倉を歩けば、全く違った見方が出来て、新しい「かまくら」の形を見つけられるかもしれません。
一人の人間の生涯を感じながら、思いをはせて街を歩くのも、深い文化の幕開けだと思います。