みちのくの小京都 角館そこにに武士達が残した遺産を巡る
みちのくの小京都と呼ばれる秋田県角館(かくのだて)。
には、武士たちが残した武家屋敷が存在しました。武家屋敷から藩主への忠誠心と武士の生活を感じることが出来ます。
それぞれの武家屋敷の違いを感じながら、角館の歴史を紐解いて行きましょう。
この記事の目次
角館の武家屋敷の中で現存する最も古くからこの角館にある武家屋敷
200年以上の歴史を持つ武家屋敷「石黒(いしぐろ)家」は、角館の武家屋敷の中で現存する最も古い武家屋敷です。
JR角館駅から徒歩約20分で到着します。
現在も、石黒家の方が住んでいらっしゃり、家の一部を公開しています。
そして、家の中の座敷の中に上がることができ、石黒家について説明をしてくださいます。当時の暮らしについて知ることが可能です。
また、座敷を上がって行くと透かし彫りを観ることができます。日差しや部屋の光が当たると影に綺麗な亀が映ります。
奥の蔵に入って行くと、当時の暮らしについての資料が多数置いてあります。
そこには、萱屋根(かややね)の構造を知ることのできるスペースがあるのです。萱屋根の作り方があったり、実際の萱が置いてあります。
そして、石黒家を象徴するのは、樹齢約300年といわれる樅(ケヤキ)の木です。高く太い樅の木は石黒家のシンボルです。
武家屋敷の方が一人一人に説明をしてくださるアットホームな雰囲気でした。
武家屋敷を見る上で欠かすことの出来ない石黒家是非行ってみてください。
石黒家 所在地 : 秋田県仙北市角館町表町下丁1
3000坪の広い敷地で武家屋敷だけでなく角館の歴史にも触れる
3000坪の敷地を誇る青柳(あおやぎ)家は秋田県指定史跡です。
その敷地の広さは角館の武家屋敷の中でナンバーワンの広さを誇ります。
この敷地内には母屋(おもや)・武器庫・解体新書記念館・秋田郷土館・武家道具感・ハイカラ館・時代体験庵(じだいたいけんあん)といった施設があり、角館を知ることができます。
藩への功績から特別に許された青柳家の大きく立派な薬医門(やくいもん)は、桜田門外の変が起きた年と同じ1860年に建立しました。
青柳家の薬医門は唐破風(からはふ)と呼ばれるそり曲がった曲線状の屋根の装飾です。
1773年に建造された母屋を通って行くとたくさんの武器が保管されている武器庫へ繋がっています。甲冑(かっちゅう)や火縄銃など秋田藩時代の武具を見ることが可能です。
もう少し奥へ進むと、解体新書記念館があります。
平賀源内の手ほどきで西洋絵画を学び、「解体新書」を描き、その後日本で最初の西洋技法絵画「秋田蘭画」の創始者である小田野直武にまつわるものが展示されています。
他にも3万点にも及ぶ展示物があり、600種類もの草木が繁っています。
角館のことについて詳しく知る事の出来る場所なので、角館に来た際には是非訪れてほしい場所です。
青柳家では、角館の歴史と自然を味わえます。
所在地 : 秋田県仙北市角館町東勝楽丁26
角館の自身の生活の為でなく芦名家の為に仕え続けた家臣の武家屋敷
芦名家に仕え続けた岩橋家。青柳家、石黒家は自分の家などにお金を使いましたが、岩橋家は違いました。
芦名家から貰った報酬を芦名家のために使っていて、そのため、岩橋家は青柳家と石黒家に比べて質素な家となっています。
岩橋の門も青柳家・石黒家同様に門はほとんど使いません。
自分よりも身分が高い人しかこの門は使用しない決まりがありました。
今は一般開放している為門が開いていますが、江戸時代などは常に閉まっていたようです。
主人も玄関は使わずに、脇玄関から入って行きます。
女性・子供は玄関から入ることも出来なく、裏の勝手口から家に入らなくてはなりません。家族の中でもすごく差があります。
なぜこのようになっているかというと、外から誰が入ってきたかわかるように入口の部分が工夫されているからです。
敵が入ってきた時にも素早く対応できるように、武士らしい家の造りになっています。
最低限の家の造りとなっており、敷地は広く、家は質素な造りになっています。
敷地の中は草木や木が生い茂っています。
岩橋家には秋田県の天然記念物に指定されている樹齢250年の大きなケヤキの木も現存しています。
また、山田洋次監督によって公開された、映画の撮影地としても知られていて、江戸時代の雰囲気を楽しめる場所でした。
所在地 : 秋田県仙北市角館町東勝楽3−1
みちのくの小京都「角館」には、藩主に仕えた武士たちの生活を垣間見ることができます。
門や玄関の使い方から身分の違いというのがはっきりとわかります。
今の時代では、受け入れられない考え方です。是非とも、自分たちの今の生活と比べながら武家屋敷を巡ってみてください。