重文 旧高野家住宅「甘草屋敷」でたどる甲州塩山の産業と発展の歴史
山梨県甲州市に、重要文化財の甲州民家が残っているのをご存知ですか。
大きく突き出した屋根が特徴的な切妻造りのお屋敷は、江戸時代から「甘草屋敷」として親しまれてきました。
悠久の時を超えて塩山を見守り続けた甘草屋敷で、ゆったりとくつろぎの時間を過ごしましょう。
この記事の目次
伝統的な甲州民家 突き上げ屋根切妻造りの甘草屋敷でくつろぎの旅を
中央線塩山駅北口すぐに位置する、甘草屋敷こと旧高野家住宅を訪れました。
19世紀初頭から塩山に佇む重要文化財、甘草屋敷は、現在では「薬草の花咲く歴史の公園」として市民に開放されています。
突き上げられた屋根を特徴とし、甲州地域で受け継がれてきた伝統的な甲州民家です。
入り口を入ると、ゆったりとしたお座敷に上がることができます。
春は「ひな飾りと桃の花まつり」、秋は「ころ柿」づくりと、四季折々で表情を変えるお部屋です。
こちらは仏間です。要人が訪ねてくる際は、襖を閉めることで書院造のお部屋にみせていたそうですよ。
屋根裏部屋のような二階には、昔の人々が使っていた家財道具が所狭しと並べられています。
屋根の突き上げ部分は景色抜群。
主屋の奥にはお庭と、現在は「子ども図書館」として市民に親しまれる文庫蔵が建っています。
文化財のお屋敷で読書できるなんて、とても素敵ですね。
江戸時代から塩山の人々に愛される甘草屋敷で、ゆったりとした時間をすごしてみませんか。
参考 甘草屋敷パンフレット
江戸時代から使われている薬の原料 塩山「甘草」づくりいまむかし
甘草屋敷の正式名称は、旧高野家住宅です。
なぜ「甘草屋敷」という愛称が付けられたのでしょうか。高野家とは、誰のことなのでしょうか。
ここでは、甘草屋敷のルーツを探ってみたいと思います。
こちらが甘草です。甘草とは、薬や調味料、甘味料などに使われる植物のこと。
高野家は、この甘草を江戸幕府に収めていたお家なのです。
徳川吉宗治世の享保5年、高野家の甘草は幕府の採薬使に認められ、栽培と管理、上納が申し渡されました。
現在も甘草園にのこる甘草は、なんと340年の時を経た、日本で最も古い由緒を持つ株となっています。
こちらは、甘草園の甘草をバイオ増殖した株です。
近年国内に流通する甘草は輸入がほとんどなので、貴重な国産の甘草です。
甘草屋敷は、江戸時代に重要な役割を果たしたお屋敷だったのですね。
その歴史を感じながら、大きなお屋敷を散策するのはとても素敵な時間でした。
歴史を知ってから出る旅は、より楽しいもの。ぜひ、甘草の里をたずねてみてください。
参考 甘草屋敷パンフレット
養蚕文化でかたちづくられた甲州民家 産業と住まいの秘密にせまる
さて、甘草栽培の歴史をみたあとは、主屋二階部分の秘密にせまりましょう。
甲州民家の特徴である突き上げ屋根は、甘草屋敷が行っていた、もう一つの産業にその理由があるのです。
主屋の二階にあがります。正式には二階ではなく二段の突き上げ屋根なので、床は簡易的な板張りになっています。
煤で黒っぽくなった棟持柱が、力強く屋敷を支えていますね。
これは、甘草屋敷で生産された繭玉。
ここで行われていたもう一つの産業というのは、養蚕なのです。
全国で養蚕が行われていた大正から昭和初期、涼しい気候や桑畑があることから、甲州でも養蚕が盛んでした。
突き上げ屋根は、蚕を育てるうえで不可欠な採光・換気のためにつくられたものです。
実際に養蚕で使われていた道具が、数多く展示されています。
この養蚕は、絹糸が売れなくなった昭和中期ごろまで行われ、その後甲州の産業は果樹へと移行していきました。
養蚕業は、甲州の人々の暮らしに密接に関わり、住まいの姿かたちにも影響したのです。
仕事をしていた人たちの息遣いが聞こえるようですね。
歴史を学びながらの旅は、より記憶に残るものとなりました。
甘草屋敷 所在地 :甲州市塩山上於曽1651
参考 甘草屋敷パンフレット
甲州の産業・発展の歴史におおきく関わった甘草屋敷。
伝統的な甲州民家でゆったりとくつろぎながら、甲州の歴史に触れる素敵な時間を楽しみましょう。
甘草屋敷を、ぜひ訪れてみませんか。