HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

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「洋学の里」津山 日本の日の出を支えた津山藩の洋学者達を探しに

  • 岡山県津山市が、実は数多くの洋学者を排出している土地だと言うことをご存じでしょうか。

    東大創立に携わった箕作阮甫や、コーヒーに「珈琲」という字をあてた宇田川榕庵など津山の洋学者は江戸後期の日本にとって欠かせない人物ばかりです。

    今回は日本の歴史をより深く知る為、洋学者にスポットを当てて見てきました。

     

     

     

    近世日本の影の偉人達 津山の洋学者についてあなたは知っていますか

     

    津山を中心とする美作(みまさか)地方は江戸時代後期から明治初期にかけて優秀な学者を数多く排出していました。

     

    <写真01_ tuyama alt:alt 津山マンホール>

     

    そんな津山出身の洋学者を一部紹介したいと思います。

    JR津山駅からごんごバス小循環線で約10分、「中島病院前」下車したところにあるのが城西浪漫館です。

    国登録有形文化財であり大正ロマン漂うこの建物も津山の洋学を知る手がかりとなります。

    そもそも洋学とは江戸時代に西洋からもたらされた学問の総称です。

    「蘭学」もその一部ですね。

    その中で今回はじめに、宇田川三代をご紹介します。

    宇田川玄随は元々漢方医でしたが、西洋医学の正確さに感心し杉田玄白の元で学び蘭方医に転身しました。

    津山に蘭学をもたらした先駆者と言われています。

     

    <写真02_ tuyama alt:alt 宇田川玄随>

     

    宇田川玄真は日本の解剖学の礎となる「医範提綱(いはんていこう)」などを執筆しました。

    多くの洋学者を直接育成したとして「蘭学中期の大立者」と言われています。

     

    <写真03_ tuyama alt:alt 宇田川玄真>

     

    宇田川榕庵は日本における近代科学の確立に大いに貢献しました。

    また「細胞」や「水素」などの植物、科学用語を日本語で造語した人です。

    「珈琲」という漢字名をつけたのもこの人といわれています。

    城西浪漫館では実際に「榕庵珈琲」をいただけます。

     

    <写真04_ tuyama alt:alt 宇田川榕庵>

     

    <写真05_ tuyama alt:alt 宇田川榕庵珈琲>

     

    また、津山の洋学者にかかせないのが箕作家です。

    箕作家の筆頭ともいえる箕作阮甫についてはまた次項で説明します。

    箕作省吾は箕作阮甫の養子で世界地誌を執筆しました。

    その本はベストセラーとなり坂本龍馬も愛読していたといいます。

    その他にも数々の著名な洋学者が津山から育ち、日本の西洋化に大きく貢献しました。

     

    所在地:岡山県津山市田町122

    城西浪漫館HP:http://tsuyama255.net/

     

     

     

    洋学者だけの博物館  ~津山洋学資料館で近世日本の変容を見る~

     

    JR津山線津山駅より東循環ごんごバス南廻り線で10分西新町バス停下車徒歩2分、または津山城から徒歩20分、出雲街道にそって城東むかし町を歩いていると出てくる煉瓦造りと木造建築がくっついたような建物が津山洋学資料館です。

     

    <写真06_ tuyama alt:alt 洋学資料館外見>

     

    <写真07_ tuyama alt:alt 洋学資料館木造部>

     

    この建物は、津山の洋学者と洋学文化だけにピントをあてた資料館です。

    観光案内所「和蘭堂」(わらんどう)の奥にひっそりと佇む資料館の前には、津山を代表する洋学者の胸像がいくつも並んでいます。

     

    <写真08_ tuyama alt:alt 洋学資料館胸像>

     

    洋学者のレリーフが飾ってある赤レンガの外観は、以前この資料館が入っていた旧妹尾銀行林田支店跡を真似たものなんだそうです。

     

    <写真09_ tuyama alt:alt 洋学資料館レリーフ>

     

    建物の中も非常に凝っていまして、天井や入り口の装飾など見ていて飽きません。

    この資料館の蔵書も興味深い物が多く、なんとあの杉田玄白の「解体新書」の原本もありました。

    洋学についての知識はほとんど無かったものの、とても興味深く見学させていただきました。

    初めて知る洋学の世界にどんどん引き込まれ楽しむことができました。

    洋学だけの資料館というのは大変珍しいらしく、イスラエルからいらっしゃった学者の方も見学されたそうですよ。

    津山洋学資料館で洋学について学んだ後は、洋学資料館入り口脇にあります「和蘭堂」でお土産を見ながら一休みというのもいいかもしれませんね。

     

    <写真10_ tuyama alt:alt 和蘭堂>

     

    所在地 : 岡山県津山市西新町5

    開館時間 : 9:00〜17:00(月曜休館) 入館料 : 300円

    津山洋学資料館HP: http://www.tsuyama-yougaku.jp/

     

     

     

    この人がいなければ今の日本はなかった 津山といえば箕作阮甫

     

    津山城から徒歩約20分、津山洋学資料館の隣にありますのが箕作阮甫旧宅(みつくりげんぽきゅうたく)です。

     

    <写真11_ tuyama alt:alt 箕作阮甫旧宅看板>

     

    建造物が立ち並ぶ城東地区の他の町屋と同じような二階部分が白壁の質素な家で箕作阮甫は生まれ育ちました。。

     

    <写真12_ tuyama alt:alt 箕作阮甫旧宅正面>

     

    津山藩医であり、洋学者である箕作阮甫の偉業は主に3つ有るといわれています。

    一つ目にペリー来航時持ち前の語学力と教養を遺憾なく発揮し、外交文書の翻訳に携わったことです。

    ロシアのプチャーチンの際も交渉団の一員を務め、日本の外交交渉で大いに活躍しました。

     

    <写真13_ tuyama alt:alt 箕作阮甫旧宅 洋学資料館より胸像>

     

    次に箕作阮甫は医学のみならず、語学、地理学、礫意思、兵学等多岐にわたって見識が深く、様々な本を出版し洋学の発展に大きく貢献しました。

     

    <写真14_ tuyama alt:alt 箕作阮甫旧宅居間>

     

    最後に、箕作阮甫は日本初の大学教授として現在の東京大学の元である蕃書調所(ばんしょしらべしょ)で教鞭を振るい、多くの学者を輩出しました。

    子孫にも著名な学者や有名な政治家が多く存在し、鳩山一郎氏も箕作阮甫の子孫なんだそうです。

    箕作阮甫旧宅の蔵では彼の偉業を分かりやすく説明しています。

    今回訪れるまで箕作阮甫のことを全く知らなかったのですが、この建物で箕作阮甫について学べば学ぶほどその偉業の数々に驚かされました。

    この小さな町屋でどのような生活をしていたのか思いをはせながら、見学させていただきました。

     

    <写真15_ tuyama alt:alt 箕作阮甫旧宅庭>

     

    所在地 : 岡山県津山市西新町6

    公開時間 : 9:30〜16:00(月曜休館) 入場無料

     

     

     

    今回、初めて洋学について学びましたが、今までになかった歴史の視点を得ることができてとても面白かったです。

    津山洋学資料館、箕作阮甫、城西浪漫館の順番でめぐると、洋学についての基礎知識を得た上で実物を見に行くことができるのでオススメです。

    あなたも日本の近代化の先駆けである洋学者の偉業を見に行きませんか?