「揖保乃糸」発祥の地 たつの市揖保郡 そうめんの歴史を知る旅へ!
みなさんは「揖保乃糸」を食べたことはありますか。食べたことがない人も、近くのスーパーマーケットで「揖保乃糸」の文字は見たことがあるのではないでしょうか。兵庫県・たつの市で、その有名な「揖保乃糸」は生まれ、造られ、今日まで愛されています。
この記事の目次
揖保素麺の歴史を遡ろう その起源は唐から伝わったあるお菓子だった
JR東觜崎駅より徒歩約15分のところに「そうめんの里」があります。
ここではそうめんの歴史や製造過程を学び、実際にそうめんづくりを体験することができます。50㎝のそうめんを、たった1組のお箸を使って160㎝にまで延ばすという絶技。熟練職人さんが最初にお手本を見せてくださいます。その繊細かつ素早い動作に目を奪われます。
わたしも実際に体験させていただきました。いざ50cmのそうめんを伸ばそうとしても、その強い弾力により伸ばすことが難しく、かつ無理に力を入れて一気に引っ張ろうとすると切れてしまいそうになるのです。とても至難の業でした。
次に、そうめんがどのようにしてできたのかを教えていただきました。
そうめんはなんと、平安時代に唐から海を越えて到来した「索餅(さくべい)」と呼ばれるお菓子が始まりなのだそうです。当時、珍しいお菓子として貴族しか食べることができないほど高級なものでした。その「索餅」が発展し、室町時代に初めてそうめんが造られました。江戸時代に入るまでは、高級食材として知られ、それが庶民の口に運ばれるようになったのは江戸中期でした。それから需要が増え、さらに機械を導入したことで生産量も増加し、今では日本国民が気軽に食べられるものとなったのです。
所在地 : 兵庫県たつの市神岡町奥村56番地
公式HP : そうめんの里
そうめんの里のレストラン「庵」で家で豪華な揖保乃糸料理を味わおう!
1418年、播磨で初めて「サウメン」と記述され、このころから播磨地方でそうめんの製造がはじまり、明治時代末期に「揖保乃糸」という名が生まれました。コシがあり歯切れのいい食感がその特色です。
そうめんの里には、立派な額縁が壁に飾ってありました。なんとこの額縁の中にあるものは、保乃糸のそうめんを使って造られたというので驚きます。
JR東觜崎駅から約徒歩20分の場所に位置するそうめんの里には、さらに1階に揖保乃糸の試食コーナーとレストラン「庵」があり、本場のそうめん料理を味わうことができます。
まずいただいたのは「鯛そうめん」。
じっくりと煮込まれ味がしっかりとついた鯛と、本場でつくられたにゅうめん。
始めはにゅう麺本来の味を楽しみ、その後に鯛の身とにゅう麺を一緒に食べるというのがおすすめの食べ方だそうです。
鯛の味付けが素朴で優しい味のにゅう麺と重なり、絶妙な味わいを楽しむことができます。
「鯛そうめん」というのは地域の伝統料理であったそうです。この「鯛そうめん」には2つの意味がこめられています。
「めでたい」という意味。そして「ご対面(ご鯛麺)」。残念ながら、今現在では家で結婚式を挙げることが少なくなり、伝統である鯛そうめんの文化はなくなってしまったそうです。
しかし、結婚式が家で行われていた時代、結婚式が行われた日には家族・親戚の皆で「鯛そうめん」を食べることが習わしだったそうです。
人生に一度は味わいたい一品 揖保乃糸と〇〇の生み出す絶妙な味わい
次にいただいたのは、お寿司です。
そうめんの里レストラン「庵」が生み出した自慢のメニューなのだそうです。
いったいなにが特別なのでしょうか。
一見、普段私たちが口にするお寿司に見えて、よーく見ると・・・
気づきましたでしょうか。
なんと、ごはんではなく、そうめんが巻かれています!!
どんな食感なのかと、好奇心と共にまずは一口。
ごはんではない分とても軽くて食べやすく、そうめんの食感でふわふわとしています。
おなかがそれ程空いていなくてもよし。にゅうめんやそうめんとセットで食べるのもよし。
たつの市を訪れる際は、必ず食べて帰りましょう!
所在地 : 兵庫県たつの市神岡町奥村56番地
公式HP : 庵
そうめんの意外な起源に、そうめんと鯛・お寿司というほかでは食べられない組み合わせ。そうめんの里にいけば、たくさんの驚きに出会えます。
まだまだそうめんの歴史に関する情報が眠っているかもしれません。
ぜひ、足を運んでみてください。