東近江市五箇荘金堂町 近江商人邸宅をめぐる 彼らの生き方に隠された秘密とはいったい
日本の近代化を支えてきたと言っても過言ではない近江商人。なぜ全国にいる商人のなかでも滋賀県東近江市五個荘金堂町の近江商人たちは現在でも活躍するような成功を収めることができたのでしょうか。
彼らの邸宅を見ることでその謎は解けてきます。 実際に訪れていきましょう。
この記事の目次
東近江市 一時は三越さえも超えた朝鮮・大陸の百貨店王と呼ばれた男の住まい
近江鉄道五箇荘駅から徒歩約20分ほど歩くと中江準五郎邸につきます。
昭和初期に、主に海外(朝鮮半島)などで活躍した中江準五郎邸に行ってみましょう。
建物に入ると中江四兄弟の写真がかけられています。
中江四兄弟は呉服小間物商・二代目中江勝治郎のもとに誕生しました。
その後、朝鮮大邸において「三中井商店」を創立しました。
三中井の由来は諸説ありますが、ある家伝によれば中江三兄弟と勝治郎夫人きみの父・奥井和平の共同出資で操業することにちなみ、三つの中江と奥井の井をとって、「三中井」と命名されたといいます。
中江兄弟は、1933年には京城に近代的デパートを作り、本格的な百貨店経営に参入しました。
1942年になると三越の売り上げを追い越し、「朝鮮・大陸の百貨店王」と謡われました。
邸宅の中は広いですが決して贅沢ではなく近江商人の質素倹約を感じることができます。
敷地内には大きな庭と蔵があるのが特徴です。
中江準五郎邸の蔵には小幡人形が展示してありかわいらしい姿に癒されます。
所在地 : 滋賀県東近江市五個荘金堂町643
才能は文学にも 東近江市の近江商人でありながら文学界でも活躍した人とは
近江商人の屋敷を二つ見てきましたが、商売だけをしていたのではありません。
この邸宅は四代目外村宇兵衛の妹みわに婿養子吉太郎を迎えて分家したのが始まりです。
吉太郎の三男であった繁は一時家業を継ぎ、商人になりますが文学を志します。
「草筏」「筏」「花筏」など近江商人を題材にした小説や自らの人生をつづった作品を数多く残しています。
このように庭を眺めながら書いていたのでしょうか。
蔵の中には外村繁に関するものが数多く置かれています。
また音声ガイドもあり、彼の生き方などをよく知ることができます。
また蔵の二階には当時使われていたタンスらしきものもおかれています。
外村繁は芥川賞候補や池谷賞、野間文芸賞等を受賞し文学界でも名前が知られています。
近江商人とは違ったまた違った角度から見れるところもこの邸宅の魅力ではないでしょうか。
所在地 : 滋賀県東近江市五箇荘金堂町631
近江商人の基盤は家訓にあり 家訓からみえてくる東近江市の近江商人の生き方
中江準五郎邸、外村宇兵衛邸、外村繁邸を実際にみて各邸宅の特徴としては、広い敷地に庭と蔵があります。
しかし決してぜいたくな暮らしをしていたわけでないことがわかります。
近江商人の生き方が一番表れているのは「家訓」ではないでしょうか。
また家訓は様座な形で残っており、書物になっていたり、掛け軸として飾られていたりします。
中でも有名なのは「三方よし」です。売り手よし、買い手よし、世間よし、といったように自分たちだけが得をするのではなく、
社会貢献もできるのが商売であるという考え方です。
また面白いものもあり、商家の妻の姿といった当時の考え方がわかるものも残っています。
上の写真は近江商人の一生を表したものです。
邸宅には広い台所があり、どれだけ豪商になっても年に数回故郷に帰ってきて家でご飯を食べるという習慣があったことが見受けられます。
そうして近江商人たちは、地域社会に貢献し、次なる近江商人を生み出していき今の日本を作っていったのです。
近江商人たちの生き方は現代においても見習うべきところは多いのではないでしょうか。
近江商人の生活はどのようなものであったかなどお分かりいただけたでしょうか。実際に足を運ぶことによっていろいろな見方や発見をすることができます。
是非彼らの愛した町と邸宅に訪れて体感してみてください。