平家物語ゆかりの寺 嵯峨鳥居本 祇王寺と滝口寺に隠された悲恋物語
京都・嵯峨鳥居本(さがとりいもと)には平家物語にゆかりのあるお寺、祇王寺と滝口寺が静かに佇んでいます。
それぞれのお寺に隠された悲しい恋の物語とは。
平家物語の切なく悲しい世界に思いを巡らす歴史旅に出かけてみませんか。
この記事の目次
祇王寺と滝口寺 嵯峨鳥居本の地に至るまでのそれぞれの歩みをたどる
JR嵯峨嵐山駅から徒歩30分。
京都の人気観光地である嵐山をさらに北へ上がっていきます。
歩いているうちにあたりは静かになり、歩いている人もまばらになります。
この坂を上ると祇王寺と滝口寺の入り口はもうすぐそこです。
こちらが祇王寺の入り口、左手へ少し階段を上ると滝口寺の入り口になります。
かつては、浄土宗の往生院というお寺にいくつかのお堂があり、往生院がなくなる際にそのお堂の一つ一つが祇王寺や滝口寺として、ここ嵯峨鳥居本に形を残したそうです。
それぞれ緑に囲まれたつつましやかで静かなお寺であり、どこかもの悲しげな雰囲気が好まれ、見る人の心を惹きつけています。
祇王と仏御前 嵯峨鳥居本で過ごした二人の女性の壮絶な人生とは
さて、まずは祇王寺に行ってみましょう。
祇王寺にまつわる平家物語として、お寺の名前にもなる祇王のお話があります。
平氏全盛の頃、平清盛の寵愛を得た、白拍子の祇王は安穏に暮らしていました。
しかし仏御前という白拍子が屋敷に現れ、清盛が門前払いしようとしたところ、祇王が優しく取りなし今様を歌わせることになりました。
それを聞いた清盛はたちまち心を仏御前に移してしまいます。
祇王は屋敷を追われ、せめてもの忘れ形見にと
萌え出づる 枯るるも同じ 野辺の草 いづれか秋に あはではつべき
(芽生えた草も枯れる草も野辺の草は結局同じこと、人もまたいつかは飽きられるのでしょう)
と書き残し、妹、母とともに今の祇王寺の地に世を捨て、仏門に入ることとなりました。
しばらくして念仏しているところへ、仏御前が尼の姿で訪ねてきます。
祇王の不幸を思った、わずか十七の仏御前の行動でありました。
それから四人一緒に籠り、往生の本懐を遂げたといいます。
祇王が書き残した和歌は、恋の儚さ、無常さを歌っており、その儚さを肌で感じることのできる場所が祇王寺です。
丁寧に手入れがなされた苔庭と竹林が美しく、鮮やかです。
仏壇には左から母刀自、祇王、平清盛、大日如来、妹祇女、仏御前と並んでいますが、おもしろいことに平清盛の木像のみ意図的に隠されるように並んでいます。
平清盛に翻弄された悲しき女性たち、祇王二十一、仏御前十七の出来事でした。
祇王寺は静かで美しく、時がゆっくりと流れているように感じます。
少しの間、日常を忘れて物思いにふけることができる、そんなお寺です。清水さんが訪れ感じた感想を追記しましょう
女性たちの切なさと強さに思いを巡らせ、祇王寺を歩いてみてはいかがでしょうか。
祇王寺 所在地 :京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂32
奥嵯峨 滝口寺で感じる 互いを想いあう男女の切なく悲しい恋の行方
そのあとは、さらに少し上ったところにある滝口寺を訪れます。
ここ滝口寺は平家物語、維盛高野の巻で挿入されている滝口入道と横笛の悲恋物語が関係しています。
滝口入道はもと侍で、斎藤滝口時頼という名でした。
身分違いの横笛を恋しく思い、恋文を送るようになりましたが、父親がそれを知り、厳しく叱りました。
それをきっかけに、時頼は往生院へ出家してしまいます。
時頼の出家を伝え聞いた横笛は恨めしく思い、自分の心を打ち明けたいと尋ねまわり、滝口入道のもとへやってきます。
しかし、滝口入道はそのような人はおりませんと帰してしまいます。
横笛は泣く泣く帰りますが、
山深く 思い入りぬる柴の戸の まことの道に 我れを導け
(あなたのことを思い、こんなに山奥深くまで来てしまいました、これから私はどうしたらよいのでしょうか、どうか私を正しい道へ導いてください)
と、近くの石に、指を切り血で歌を書いて帰ります。
その後、滝口入道は高野山へ、横笛は法華寺で尼になります。
横笛の死を聞いた滝口入道はますます仏道修行に励み、高野の聖といわれる高僧になったといわれます。
横笛が石にかいたといわれる歌は、滝口入道へのどうしようもない思いが綴られています。
これが、横笛の思いが綴られたと伝える石です。
本堂には、滝口入道と横笛の木像も並べて祀られています。
滝口寺には、叶わぬ恋となってしまった男女の行くあてののない思いが物哀しさとなり、漂うように感じられます。
滝口寺 所在地 :京都市右京区嵯峨亀山町10-4
京都の奥嵯峨にある知られざるお寺、祇王寺と滝口寺。
一風変わった、平家物語ゆかりのお寺巡りをしてみてはいかがでしょうか。
きっとあなたも、その物哀しげな雰囲気と静かな時の流れに心を奪われることでしょう。