千二百躰もの羅漢さんが迎えて入れてくれる歴史あるお寺 愛宕念仏寺
京都・嵯峨鳥居本(さがとりいもと)の重要伝統的建造物群保存地区を抜けてさらに北へと進んでいった先に愛宕(おたぎ)念仏寺はあります。
数多くの羅漢(らかん)さんが出迎えてくれる温かいお寺です。
本尊は重要文化財に指定されているなど非常に歴史あるお寺となっています。
この記事の目次
愛宕(あたご)地域と愛宕(おたぎ)念仏寺 歴史と重要文化財を知る
京都バス 『清滝行』「おたぎでら前」下車すぐに愛宕(おたぎ)念仏寺があります。
嵯峨鳥居本の北に位置する愛宕(おたぎ)念仏寺。
すぐ目の前には愛宕山(あたごやま)が、その山頂には愛宕(あたご)神社があります。
同じ地域なのにどうして読み方が違うのかお寺の方に話を聞いてきました。
このお寺は8世紀末、現在でいう東山のあたりに愛宕(おたぎ)寺として建立されました。
あたごという読み方よりもおたぎという読み方のほうが古くからある読み方だそうです。
しかし鴨川の洪水により流失、後に安全面や愛宕山(あたごやま)との信仰的な関係から現在の地に移築になりました。
そうしておたぎとあたごという二つの読み方がこの地域に混在することになったのです。
本尊である千手観音像はお寺が移築する前からある非常に歴史が深いもので、鎌倉時代の彩色寄木造りの坐像で肖像彫刻として優れていることから国指定の重要文化財となっています。
お寺に足を踏み入れると歴史ある仏像や数多くの羅漢さん、美しい木々や苔に圧倒されてしまいました。
西村公朝さんの献身 嵯峨鳥居本で荒れ果てていた愛宕念仏寺の復興
今でこそ非常に美しいお寺ですが、戦時中は無住寺となっており1950年の台風被害によって境内や仏像は多大な被害を受け廃寺となっていました。
京都一の荒れ寺とまで言われていましたが、1955年に仏像彫刻家の西村公朝が住職に拝命してより再興が始まりました。
1980年より山門の解体復元工事が行われ、境内全域の本格的な復興事業が行われました。
このとき西村公朝は寺門興隆を祈念して境内を羅漢の石像で満たしたいと発願しました。
現在のこの美しい愛宕念仏寺は住職さんたちの懸命な努力の結果生み出されたものなのです。
実際に行って見ると本当に美しいお寺で荒れ果てていたとは想像もできませんでした。
嵯峨鳥居本に訪れた人々が自分の手で彫った羅漢さん 昭和の羅漢彫り
荒れ果てたお寺を復興する際、復興祈願に賛同した参拝者の人々の手によって数多くの羅漢さんが彫られました。
500躰が目標とされていましたが、10年後羅漢さんの数は1200となり「千二百羅漢落慶法要」を厳修しました。
この羅漢さんは全て参拝者自身の手によって作られたもので、それぞれが想いを込めて彫っていきました。
戦争で亡くなった方を想って彫られた羅漢さん。
亡くなった夫を想って彫られた羅漢さん。
様々な羅漢さんがいらっしゃいます。
よく観察すると仮面をかぶっている羅漢さんやサッカーボールを持っている羅漢さんもいます。
数多くの羅漢さんを一人ずつ見ていくと全てが違っていて、魂が宿っているように感じました。
ふと腕時計を見ると数十分が過ぎていて、あっという間に時間が過ぎてしまっていました。
それぞれの想いがつまった可愛らしい羅漢さん。
ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか?
愛宕念仏寺 所在地 :京都市右京区嵯峨鳥居本深谷町2-5
愛宕念仏寺の歴史や景観はいかがだったでしょうか?
荒れ寺からの復興、千二百羅漢、見どころは数多くあります。
また、自然と調和した美しい景観に心奪われることでしょう。
ここでしか見ることのできない数多くの羅漢さんに是非会いに来てください!