武将真壁氏の歴史を辿る旅 かつての城下町茨城県桜川市真壁の始まり
桜の名勝として知られる、茨城県桜川市。
そこに位置する町の一つ、真壁町は多くの歴史的建造物の町並みが残る地です。
町としての始まりは、あの平将門と同じ血をひく武将、真壁氏がこの地に移り住んだことでした。
一族初代城主の誕生から、繁栄、この地を去るまでの歴史を、自らの足で辿る歴史旅が始まります。
この記事の目次
五所駒瀧神社に存在する 初代城主 真壁長幹の知られざる誕生秘話
まず最初に訪れたのは「五所駒瀧神社」(ごしょこまがたきじんじゃ)です。
五所駒瀧神社には、この地を治めた真壁氏の初代城主、真壁長幹(たけもと)にまつわる伝説が存在するといいます。
平安時代末期に創建されたとされるこの神社は、JR岩瀬駅から車で約18分の場所に位置しています。
「真壁消防署前」という交差点から石岡方面に県道7号線を進んだ先に、「五所駒瀧神社入口」と書いた看板があり、そこから細い小道に入ります。
少し歩くと、五所駒瀧神社と書かれた鳥居が見えてきました。
鳥居をくぐった先にある社殿の目の前には立派な燈籠が立っており、さすが石仏の町らしいなと感じました。
社殿の横には神輿庫が建っています。
この倉庫は祭礼の1つ、真壁祇園祭で使用する神輿のためのものです。
400年もの歴史を持つこの祭りは、年齢階梯制(ねんれいかいていせい)となっている序列制度や祭祀組織を認められ、1986年に「記録作成等の措置を講ずべき国の無形民俗文化財」に選択された、 由緒正しいお祭りです。
毎年7月23日~26日にかけて行われます。
さて、社殿を背にまっすぐ歩くと、道の両脇には様々な石像が置かれているのが目に入ります。
数ある石像の1つに真壁長幹の誕生にまつわる伝説を物語っているものがあるのです。
物語は長幹が生まれてすぐに行方不明になってしまったことに始まります。
捜索の後山の中で長幹は発見されますが、発見された時山の麓にあった滝の中から2頭の馬が現れ、2頭が駆けた足跡から大木が生い茂ったそうです。
2頭の馬の足跡とされるのがこちら。
2頭の馬が現れた滝の上に「駒下滝の明神」と名付けられた宮社が建てられたことが、現在の五所駒瀧神社の起源となっているそうです。
ぜひ伝説をその目で確かめてみてください。
所在地 : 茨城県桜川市真壁町山尾503
公式HP : http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000056.html
城下町であった真壁 その発展の始まり 国指定史跡真壁城跡を見渡す
次に向かったのは、城下町として発展した真壁の始まりの地、真壁城跡。
真壁伝承館からは徒歩12分ほどで、市立体育館の横に位置しています。
初代真壁長幹(たけもと)がこの地の郡司として真壁に移り住んだのが平安時代の末。
真壁城が築かれたのは1558~1570年、第17代真壁久幹(ひさもと)によるものと推定されています。
その土地は南北約400m、東西約850mに広がり、本丸、二の丸、中城、外曲軸の4エリアに分かれていました。
複雑に屈曲する堀と土塁は、鉄砲戦に備えられた要塞であったようです。
写真手前と奥の緑が深く暗く入り込んでいる部分が堀で、高いところからはその保存の良さを見渡すことが出来ます。
城跡の広大さは、かつてここに城が立っていた雄大な情景を想像させました。
この城は戦国時代関ケ原の合戦の後、19代真壁房幹(ふさもと)が1602年秋田角館(かくのだて)に移ったことで約400年の繁栄の歴史に幕を閉じ、廃城となります。
現在は当時の建物などは残っていませんが、土塁や堀などが良好な状態で残されていることから、約12.5haの敷地面積が1994年に国史跡の指定を受けました。
城内からは庭園跡や宴会に使用する土器なども発見されておりますが、真壁氏のような中小武士の城から見つかることは珍しく、真壁城の文化機能の高さがわかります。
現在も発掘作業が行われているため、跡地にはシートが引かれているところもあります。
出土品は真壁伝承館にて展示されているので、併せて訪れてみてくださいね。
その足で歴史ある土地をぜひ踏みしめてみてください。
所在地 : 茨城県桜川市真壁町古城467
公式HP : http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000064.html
400年以上の歴史の終着点へ 県指定文化財真壁氏累代の墓碑群
最後に、真壁氏のこの地での終着点を表すともいえる、真壁氏累代墓地及び墓碑群を訪れました。
五所駒瀧神社から徒歩5分ほどで、山尾遍照院(やまおへんしょういん)の隣に位置しています。
こちらがその偏照院。
遍照院の隣には町指定文化財彫刻である大自在天尊像唐金造(だいじざいてんそんぞうからかねつくり)が建っていました。
山尾偏照院を正面に見た右手に階段があり、そこから墓碑群に行くことが出来ます。
こちらがその入口です。
茨城県の指定文化財にも登録されています。
江戸開幕以降の墓地の荒廃、幾度の火災により、現在38基の墓碑が残っています。
ずらっと立ち並ぶ石碑の風景は荘厳な雰囲気が漂っていました。
この石碑の形は「五輪塔」という種類です。。
墓碑群の石碑はすべてこの種類のものです。
五輪塔は鎌倉時代から室町時代にかけて、なんとお墓の8割以上をしめたデザインだったそうです。
五輪は地水火風空という宇宙を構成する五大要素を表し、同時に死者を成仏させ、極楽浄土へ往生させるという意味を持つといいます。
また、真壁の地には鎌倉初期から室町・戦国時代にかけての石碑が多く残され、また良質な石の産地でもあることから、約500年前から今の真壁の産業の1つである石材業が始まったとされています。
真壁氏がこの地で繁栄した約400年の歴史の流れを感じてみてください。
所在地 : 茨城県桜川市真壁町山尾525-1
公式HP : http://www.kankou-sakuragawa.jp/page/page000068.html
真壁氏の歴史から読み解く、桜川市真壁の始まりを知る歴史旅いかがだったでしょうか。
名所を巡る前に、案外忘れ去られがちな町のルーツを知ることは欠かせません。
ぜひ、真壁の歴史の流れを感じてみてくださいね。