今も若狭の人の心に残る偉人 松木庄左衛門ゆかりの地をめぐる旅
福井県三方上中郡若狭町の偉人として名高いのが義民松木庄左衛門です。
苦しみにあえぐ若狭の義民たちを助けるために、一命をなげうって大豆年貢の引き下げを成し遂げたことで知られています。
今回はそんな松木庄左衛門ゆかりの地をめぐってみましょう。
この記事の目次
松木庄左衛門の道徳をたたえる「松木神社」にて想いをはせる~前編~
福井県三方上中郡若狭町熊川宿 下ノ町にある松木神社は、松木庄左衛門の業績をたたえ西暦1933年(昭和8年)に建てられました。
鳥居をくぐると松木庄左衛門の巨大な像が左手にあります。
松木庄左衛門は江戸時代初期に小浜藩で活躍した義民です。
義民とは、困窮している人々を助けるため一揆を首謀し、私財や生命を投げうって活躍した百姓のことを指します。
彼は新しく小浜城が建てられたことによる厳しい大豆年貢に対し引き下げを要求し続け、獄中での拷問を耐えてまでも引き下げを実現したことで称えられています。
皮肉なことに、松木神社が建てられたこの場所かつて取り立てた年貢を集める場所であったといいます。
急な坂を上り緑につつまれた階段を上ると見晴らしのいい高台に到着します。
紅葉や桜の時期になると 境内や近隣が美しく彩られ、写真撮影やスケッチに、また憩いの場所としても愛されています。”
松木庄左衛門の道徳をたたえる「松木神社」にて想いをはせる~後編~
先ほどの階段をのぼり、高台に到着すると緑あふれる空間が広がっています。
高台に位置しているためすこし街道から距離があるため、さらに静かな雰囲気でとてもリラックスすぐことができる場所です。
ベンチもあるため、桜や新 紅葉の季節にはこの場所でゆっくりと過ごすのも素敵な時間となることでしょう。
この場所はかつて小浜藩が年貢米を貯蔵するため、蔵12棟を建て年貢米を貯蔵していた、御蔵屋敷があった場所です。
廃藩により蔵は壊されてしまいましたが、現在は御蔵屋敷跡(おくらやしきあと)と呼ばれ1964年に若狭町指定史跡に指定されています。
境内には義民館と呼ばれる建物があり、こちらも松木庄左衛門の功績をたたえ1935年に建設されました。
青少年育成の道場となるようにという想いも込められています。
正面入口の「義民館」の額は、福井県出身の総理大臣岡田啓介によるものです。
こちらの神社に松木庄左衛門の霊が祀られており、今もなおこの少し高台となる位置若狭が見渡せるこの場所から人々の生活を見守っています。
田んぼの佇む記念碑 松木庄左衛門最後の地 「松木長操史跡公園」へ
熊川宿・松木神社から車で約12分ほど、周囲を田んぼに囲まれおだやかな日常の時間が過ぎるこの場所に石の記念碑が立っています。
この場所は丹後街道から京都に通じる道の分岐点です。
この近辺で、1652年松木庄左衛門が処刑され、最期を迎えたといわれており、現在はそれを偲ぶ記念碑が立っています。
1891年には 日笠に義民を顕彰する立派な記念碑が建てられました。
その二年後には若狭あげて盛大な竣工式が挙行されたという記録が残っています。
その後1955年に町指定の史跡に登録され1992年の340回忌には町指定の史跡であるこの地に 記念碑及び発起人碑を移して史跡公園としました。
次の記事でご紹介する松木庄左衛門の墓と同様に今もなおお参りに来る人が多いことなどから若狭の人の心には時代を越えて残り続ける偉人であるといえるでしょう。
所在地:福井県三方上中郡若狭町日笠野村 バス停日笠より徒歩約10分
日常のはざま 義民松木庄左衛門がねむる地「松木長操居士の墓」へ
最後に 先ほどの地で処刑された松木庄左衛門が眠る「松木長操居士の墓」へと足を運びました。
日笠のバス停に降り立つと後ろに大きく「義民松木長操遺跡」の文字が見えます。
中に入ってみると中央付近に松木庄左衛門のお墓があります。
はりつけの刑に処せられた後の亡骸は、ここ正明寺(しょうめいじ)に埋葬されました。
法名は「松木長操居士」です。
この五重塔の形をしたお墓は死後83年たった1749年に作られたものですが、確認される中では最古のお墓であるといわれています。
見渡してみるとのどかな田園風景が広がっており、松木庄左衛門の墓がひっそりとたたずんでいます。
この日常の中にある非日常のような空間が、またおもむきのにじみ出るものでした。
所在地:福井県三方上中郡若狭町日笠26-10 JRバス日笠より徒歩1分
松木庄左衛門のゆかりの地をめぐる旅 いかがでしたでしょうか。
時が流れた今もなお、若狭の人々の心に残り続けている彼の功績なくてはこのような穏やかな風景や日常もなしえなかったかもしれません。
そんなことを想像しながらめぐっていくのもまた興味深い旅になるのではないでしょうか。