亀山市関宿 江戸風情と重伝建の町並みにある「暮らし」を感じる旅
東海道五十三次の四十七番目の宿場町、三重県亀山市「関宿」。
その江戸風情を残す町並み保存のテーマは「生活をしながらの保存」です。
歴史的な町並みの史跡をたどりながら、その中の暮らしも感じる旅へ出かけましょう。
この記事の目次
東海道47番目の宿場町 重伝建 亀山「関宿」にある御馳走場とは
JR京都駅から電車を乗り継ぎ、約1時間半。
JR関駅に着きました。
駅前の道をまっすぐ進むと、重伝建 関宿の町並みが見えてきます。
関宿は、江戸時代に東海道五十三次の四十七番目の宿場町として栄えた町です。
町並みを歩くと、江戸風情の漂う歴史的建造物が数多く残されています。
関駅から歩くこと約7分、御馳走場に着きました。
ここ御馳走場は関宿に来る大名行列を送迎する場所でした。
当時は関宿に4か所の御馳走場があったそうです。
御馳走場に立って通りを向くと、江戸から来る、また江戸へ向かう大名行列でにぎわう町並みが頭に浮かびます。
御馳走場にある説明書きの板の横には、「関宿かるた」が掛けられていました。
このように、関宿の町並みの中に関宿かるたが掛けられています。
探しながら歩くと、まち歩きが一層楽しくなりますよ!
所在地 : 御馳走場 519-1112 三重県亀山市関町中町564
~生活をしながらの保存~ 重伝建 亀山関宿の歴史的町並みと暮らし
御馳走場の向かいにあるのが「開雲楼と松鶴楼」です。
かつて旅籠では飯盛女と呼ばれる遊女やそのような専門の場がありました。
開雲楼と松鶴楼は、その代表的な建物だったそうです。
開雲楼は中に入ることはできませんが、建物の造りからその面影を感じることができます。
特に二階の手摺りや格子窓の意匠の美しさには心奪われます。
松鶴楼は、現在青果店を営む「遊快亭」となっています。
店内には、東海道五十三次の切り絵が飾られていました。
気さくな奥さんがせっせとお仕事をされていました。
関宿の町並み保存のテーマである「生活をしながらの保存」を感じる場所でした。
そこからすこし歩くと、「百五銀行」があります。
こちらは現在使われている銀行です。
自動ドアに格子が施されていたりと、まちなみに配慮して造られた銀行になっています。
ぜひ歴史的な町並みとその中の暮らしをのぞきに来てください。
所在地 : 遊快亭 519-1112 三重県亀山市関町中町538
所在地 : 百五銀行関支店 519-1107 三重県亀山市関町木崎588
歌川広重の浮世絵のモデルになった 亀山関宿の「伊藤本陣跡」へ
百五銀行から徒歩約3分ほどのところにあるのが、「伊藤本陣跡」です。
本陣とは、江戸時代に行われた参勤交代の際に、大名や公家といった身分の高い人々が休む宿泊施設のことです。
現在残されている部分は、家族の居住地と参勤交代の時に使われた道具置き場だそうです。
また、歌川広重の浮世絵である東海道五十三次の「本陣早立(ほんじんはやだち)」は、この伊藤本陣を描いたとされています。
どちらも観てみると、一層面白いかもしれませんね。
その伊藤本陣跡の向かいほどに位置するのが「橋爪家」です。
橋爪家は、江戸時代に両替商で栄えた豪商で、江戸にも店を構えていたそうです。
他の町屋と違い、三角形の屋根が特徴的な建物になっています。
ぜひすこし見上げて、屋根の造りも楽しんでください。
所在地 : 伊藤本陣跡 519-1112 三重県亀山市関町中町376-1
一度は亀山関宿からなくなった 江戸時代の掲示板「高札場」とは
橋爪家の二軒隣りにあるのが関郵便局です。
こちらには、日本最古のポストを模して作られたポストが置かれています。
古風な造りが関宿の町並みに調和しています。
そして向かって左側に「高札場跡」があります。
高札場とは、現在でいう掲示板のようなものです。
江戸時代には幕府や宿場の決まりなどが掲げられましたが、明治時代には各地で撤去されていきます。
ここ関宿の高札場も残らずすべて撤去されました。
現在建てられているのは、関宿の町並み保存のために復元をしようと声が上がり、関郵便局と協力して復元が実現したそうです。
まちの熱い思いの込められた高札場跡。
復元を思わせない見事な造りです。
ぜひ風情溢れる町並みと高札場跡につまった思いも感じてみてください。
所在地 : 519-1112 三重県亀山市関町中町428
関宿の町並みにある江戸風情と暮らしを感じる旅はいかがでしたか。
歴史的建造物が立ち並ぶ町並みを歩き、歴史に思いをはせながら、町の人たちの暮らしに触れる。
ふだん感じることのない、非日常をぜひ亀山関宿へ体験しに来てください。