銅鉱とベンガラのまち岡山県高梁市吹屋地区の産業の歴史を知る旅
岡山県高梁市の吹屋地区は、日本でも珍しい、銅鉱とベンガラで巨万の富を得たまちとして知られています。
その歴史は重要文化財である旧片山邸をはじめ、今でも大切に残されています。
吹屋地区を支えた銅鉱業、ベンガラ産業の歴史とそれらがまちにもたらしたものについて辿る旅をしませんか。
この記事の目次
今も残る坑道で吹屋の銅鉱の空気を知る冒険の旅~笹畝坑道を訪ねる~
備中松山駅から車で40分ほどで笹畝坑道(ささうねこうどう)に到着です。
今回は駅から観光タクシーを利用しました。
3時間の貸し切りで9,120円です。
運転手さんに「観光目的の貸切」と伝えるだけでお得にタクシーを利用できます。
この笹畝坑道は江戸時代から昭和時代まで採掘されていた吹屋銅山の坑道を復元したもの。
通常入場料は大人300円です。
江戸時代の採掘は手彫りで、鉱区も小範囲でしたが、明治以降は三菱金属(株)の経営となり、日本で初めての洋式溶鉱炉などにより日本三大銅山の1つとなりました。
当時の様子を人形を使って再現しています。
坑内は一年中気温が15度前後になっているため涼しく、心地いいですが薄手の長袖があると安心です。
薄暗い坑道は独特の雰囲気があり、まるで冒険をしているような気分になりますよ。
所在地 : 岡山県高梁市成羽町中野1987
吹屋地区を繁栄へと導いた「ベンガラ」とはなにか?その特徴を知る旅
笹畝坑道からベンガラ館へ車で移動。
今回の取材では笹畝坑道からベンガラ館へ車で移動しましたが、約2分ほどで着くので徒歩での移動も可能です。
このベンガラ館は、明治時代のベンガラ工場を当時の姿に復元したものです。
そもそもベンガラとは、紅殻(べにがら)とも言い、銅鉱の際の副産物である酸化第2鉄を主成分とする赤色の無機顔料のことです。
朱とともに最も古くから用いられていた赤色顔料で、防虫・防腐作用に優れているそう。
ベンガラは江戸時代中期(1707年)に全国で初めて吹屋で生産されて以来、江戸末期、明治、大正と繁昌を続け、吹屋の町並みの基礎を作りました。
ベンガラ館ではその製造方法を知ることができます。
ベンガラとは何なのか、どのように作られていたのか、使われていたかということについて学び、吹屋の町並みをただ「美しい」と思うだけでなく、人々の知恵や産業の歴史にも想いを馳せるようになりました。
他では見られない、ベンガラ産業の歴史をここで感じてみる旅はいかがでしょうか。
所在地 : 岡山県高梁市成羽町吹屋86
ベンガラが支えた吹屋の暮らしを知る~重要文化財旧片山邸・郷土館~
ベンガラ館から車で約10分で旧片山邸・郷土館に到着です。
旧片山邸はベンガラの窯元片山家の住宅で、重要文化財にも指定されています。
郷土館はベンガラの窯元片山家の分家で、中級の商家の定形ですが、当時の模様が最もよく保存されているので、郷土館とされています。
旧片山邸にはベンガラの蔵があり、そこでベンガラ商品化の最後の化粧仕上げ作業が行われていました。
二階建ての主屋に加えて2つのベンガラ蔵、米蔵、玄米蔵が建てられている広い敷地から、片山家がいかにベンガラ産業によって隆盛していったかを知ることができます。
非常に保存状態がよく、人々の暮らしを覗いているような気持ちになりました。
ベンガラ産業で巨万の富を築いた商家の暮らしに触れる歴史旅に出かけてみては。
所在地 : 岡山県高梁市成羽町吹屋367
日本全国を見渡しても珍しい、銅鉱とベンガラで栄えたまち吹屋。
美しい町並みが作られた背景にある歴史を学ぶ旅はここでしかできない体験です。
高梁市からちょっと足をのばしてその繁栄の歴史を感じてみませんか。