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生きることを学ぶ場所「富屋旅館」特攻隊員の母 鳥濱トメの歴史

  • 時代の渦に翻弄され、若き命で散っていった鹿児島県知覧の特攻隊員たち。彼らがお母さんと親しんだ女性「鳥濱トメ」。強くも優しい女性鳥濱トメから学ぶ過去、現在、そして未来を旅します。
    特攻隊員とトメさんが教えてくれたこと。平和な現在、生きる覚悟とはなにか。現代にとって大切なことに気付く旅へ出発です。

     

     

    特攻隊の母と親しまれた強く優しい女性、鳥濱トメが生きた時代とは

     

     

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    今回の旅で訪れたのは富屋食堂。富屋食堂のすぐ近くには、別館だった建物(今は富屋旅館)があります。ここ富屋食堂は、第二次世界大戦時の1942年、知覧に飛行学校(大刀洗陸軍飛行学校知覧分教場)ができたことによって軍指定食堂となりました。そのおかみさんだったのが、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメ(とりはまとめ)です。当時2人の娘をもつ40歳の女主人だったそうです。

     

     

     

    【鳥濱トメの人生】
    沢山の出撃直前の若き特攻隊員と触れ合い、彼らの心の支えとなったトメ。彼女もまた、出撃直前の特攻隊員たちのお母さんになろうと隊員たちが最後に食べたいものを用意するため私財をなげ売ってまで必死にお世話をしたといいます。

    自身の私財をかけてまでなぜ特攻隊員へ愛を与え続けることができたのでしょうか。
    その理由はトメの過去にあったとされています。トメは、1902年に薩摩半島の坊津で生まれました。幼少期から貧しく、トメは小学校にまともに通うことも出来ず、8歳で枕崎の裕福な家に子守奉公に入ったほどでした。15歳では、市内の警察署長宅に女中奉公しますが、署長の娘姉妹は同じ年頃で女学生だったため、かなりトメにきつくあたったそうです。
    ここまで人の優しさを知らずに育ったトメですが、人に初めて優しくしてもらったのは、18歳の頃、加世田市の「竹屋旅館」の女中になってからでした。これまでの雇い主とは違い、小遣いや着物をもらったりと、とても親切にされたそうです。ここからトメの今後の人生が変わった瞬間だったのではないでしょうか。
    この旅館で未来の夫となる鳥浜義勇さんとも出会いました。その後、結婚し、27歳で富屋食堂をひらきます。

     

     

     

    当時の軍指定食堂であり、特攻悲話を生んだ場所「ホタル資料館」


    <02-1_chiran_知覧の鳥濱トメ説明>

     

     

    鹿児島空港から約1時間。JR喜入駅から車で約20分。知覧武家屋敷から歩くこと約5分。富屋食堂を訪れました。

     

     

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    富屋食堂は現在「ホタル館」を名前を改め、現在は鳥濱トメと特攻隊員たちの資料館となっていました。
    ホタル館の由来にはひとつのストーリーがあります。
    当時鳥濱トメの事をよくお母さんと慕ってくれた特攻隊員が、特攻に出る前夜、トメを訪れて言いました。「蛍になって必ずまたここに来る。」そう約束して特攻として出撃しました。すると翌日、ぴったり出撃した時間に一匹のホタルが庭仕事をしていたトメの前に現れたそうです。
    トメは慌てて皆を呼び、いつの間にかみな蛍に向かって敬礼をし、「同期の桜」を歌ったそうです。このエピソードがホタル館の由来になっています。

     

     


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    ホタル館は、「富屋食堂」を当時のままに再現されており、内部は資料館として復元されています。トメの特攻隊員との交流の遺品や写真などを展示されていて、沢山の隊員たちに囲まれて笑顔を見せるトメの写真には、思わず見入ってしまいました。
    「一つしかない命を投げ捨てて散っていった若者たちの事、忘れてはならない。」そう感じました。
    どんな気持ちで、死にに行くとわかっている若者を想って接していたのか、想像すると心が震えます。旅館に飾ってある、彼女と特攻隊員たちの写真はどれも屈託のない笑顔でした。
    トメの想いや、当時の様子が資料館ではたくさん展示されていました。

     

     


    <04-1_chiran_知覧の冨屋食堂>

     

    所在地 : 897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡104

    公式HP : 富屋旅館

     

     

    生きることを見つめ直す場所「富屋旅館」へ

     

     

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    冨屋食堂からすぐの富屋旅館を訪れました。富屋旅館は、戦後1952年、特攻隊員らの遺族を知覧に泊めるために作られたものです。私も実際に宿泊させていただきました。

     

     

    富屋旅館では、当時大広間として出撃直前の特攻隊員たちが、宴会などをしていた場所で朝食をいただきます。

     

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    朝食を頂く際、旅館の仲井さんから問われました。
    「私たちは死を学ぶのではなく、生きていくことを学ばなければいけない。
    生きていく覚悟はありますか?
    特攻隊員たちは戦ったのではありません。
    未来を、大切な人を守るために逝ったのです。
    あなたが守りたいものは何ですか?
    幸福とは何ですか?」
    戦争や悲惨な歴史に向き合うための遺産は日本に溢れていますが、そこで何を学んできたのか。史実を忠実に学んでいなかったか?自分に問う機会になりました。
    死ではなく、生を学ぶ。命があるということ。それがどういうことか強く実感した瞬間でした。

    所在地 : 897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡104

     

    現在を見つめなおし、未来への恒久の平和を祈る場所「トメ観音堂」

     

    富屋旅館本館には、平和を祈るトメ観音堂があります。トメ観音堂は、トメさんが特攻隊員達へ感謝の心で供養し、毎日拝み続けてきた観音様を奉っている御堂です。
    写真の池は、当時トメさんが防空壕代わりに身を隠した池です。

     

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    トメ観音堂の前には2人のかわいいお地蔵さまがいらっしゃいました。一人は愚痴を聞いてくださる愚痴聞き地蔵、もう一人は今のあなたにとって必要なことが何か教えてくれる水先案内地蔵です。
    少しでも私の中にある不満や心配を取り除こうとしてくださるこのお地蔵様たちに優しさを感じました。

     

     


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    中へ入るとトメ観音さまがいらっしゃいました。何でも受け入れて聞いてくださるような、優しいお顔で佇んでおられました。
    早速未来への平和と私の生きる覚悟をお伝えします。

     

     


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    所在地 : 897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡104

     

     


    特攻隊員が日本の未来を信じ自らの命を投げ打って戦った事を日本人は決して忘れてはならないと感じました。生きる覚悟とはなにか、平和が訪れた今こそ、今一度考えたいテーマです。
    ぜひ、知覧に訪れ、今の自分について見つめなおしてみませんか。