薩摩藩の初代創設者「島津忠久」ゆかりの地をめぐる旅
代々薩摩藩を支えてきた島津家。島津家の歴史をご存知でしょうか。初代島津家の島津忠久の思いが今もな出水麓にはあふれています。いにしえの鼓動が聞こえる町、出水(いずみ)武家屋敷群。
歴史に、文化に、時を越えた浪漫を感じることができる魅力ある場所です。ゆっくりと出水麓(いずみふもと)を散策してみては。
この記事の目次
島津家のはじまりは源頼朝だった!薩摩藩の初代創設者「島津忠久」
島津家の誕生は源平の頃から始まります。頼朝の寵愛(ちょうあい)を受けていた丹後局が子供を身ごもり、これを知った頼朝の正室北条政子に妬まれました。そのため鎌倉を逃れ、大阪府の住吉大社につき、忠久を産みました。住吉大社の境内には忠久誕生石が、島津家における稲荷信仰や雨を瑞兆とする慣わしはこの故事に由来するものであるとされています。
その後、元旦参拝のため住吉大社を訪れた摂政(せっしょう)近衛基通(このえもとみち)に救われます。丹後局は、近衛基通の家来・惟宗広言(ひろこと)のもとに嫁ぎ、忠久も惟宗を名乗ることになりました。
頼朝は忠久誕生の知らせを受け「三郎」の名を与えました。1185年に頼朝と初めて対面し、頼朝の家臣畠山重忠(しげただ)の一字を得て「忠久」と名乗る事になり、その後九州をおさめるようになりました。
島津忠久によって鎌倉時代に作られた日本最古の禅寺、感応禅寺
島津忠久がこの町をつくった証が沢山のこされています。そのひとつに島津忠久によって鎌倉時代に作られた日本最古の禅寺、感応禅寺があります。
市指定文化財の感応寺仁王像が威厳ある風格で立っています。感応禅寺は初代島津家、島津忠久によって鎌倉時代に作られた日本最古の禅寺です。竹林に囲まれた参道はとてもに風情があります。
中に入ると子安地蔵が祭ってありました。子育て祈願、また先に旅立っていった子供たちの供養をすることができます。
境内には、市指定文化財にもなっている五廟社(ごびょうしゃ)があります。
五廟社とは、薩摩藩の創設者初代島津忠久、忠時、久経、忠宗、貞久の島津家5代の墓碑です。ひんやりとした空気に体も心も包まれ、神聖な気持ちに浸ることができました。
近くには、天然記念物に指定されているソテツという植物もありました。神聖な雰囲気の中に貴重なものがたくさんある禅寺でした。
所在地 : 鹿児島県出水市 野田町下名5735
島津忠久が信州から勧請した子授け・子宝安産の神様「諏訪神社」
島津忠久が信州より勧請した諏訪神社があります。武家屋敷群に戻りまた歩いていると、ひっそりと佇む諏訪神社が現れました。鳥居をくぐり、大きな銀杏の木に囲まれた参道は歩くだけで神聖な気分になります。
諏訪神社には古くから戦の神様が祭られているとされています。この出水諏訪神社は、鹿児島県最古の諏訪神社であり、さらに子授け・子宝安産の神様もいるようです。
中に入ると子宝いぬがお出迎えしてくれます。自分の干支を撫でながら安産・無事成長を祈願します。
樹齢約600年から700年といわれている銀杏の木です。今もなお堂々と生きている姿に圧巻です。
諏訪神社の入り口すぐ横に石敢當(せっかんとう)がありました。石敢當とは一種の魔除けであり、「向かうところ敵なし」という意味です。
いにしえの時代に生きた武士たちの心の支えになっていたことでしょう。
所在地 : 鹿児島県出水市麓町13-38
鎌倉時代というと史跡はそこまで残っておらず、イメージがしにくいですが、出水には島津忠久がまちづくりをした跡がたくさん残っていました。出水武家屋敷群に訪れる際にぜひ合わせて訪れてみてはいかがでしょうか。