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平清盛も信仰をよせた宮島 平清盛ゆかりの地へ

  • 武士ではじめて太政大臣となり、武士政権を確立させた、平安時代を代表する武士
    清盛からはじまった平家の華麗なる時代は、「平家物語」など様々な作品で語り継がれてきました。
    今回はそんな栄華を極めた清盛、そして平家ゆかりの地、宮島を訪ねます。

     

     

     

    平清盛と宮島の深いつながりは夢からはじまった

     

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    宮島の名所
    現在見られる立派な寝殿造りの社殿は、平安時代に栄華を極めた平清盛が造営したものです。清盛と厳島神社に深い関係があるというのは有名ですが、その理由をご存知でしょうか。
    まずは平清盛と厳島神社のつながりを、歴史を通して探っていきましょう。

     

     

    <写真02_平清盛像>

     

     

    平家の総帥であった平清盛は、1146年に安芸守の任に就きました。
    29歳という若さで、瀬戸内海の制海権を手にし、巨額の富を得ました。平家の栄枯盛衰を描いた「平家物語」によると、この頃に清盛はある夢を見たそうです。その夢は、僧が清盛に「厳島神社を造営すれば、必ず位階を極めるだろう」というお告げをするというもの。
    清盛はお告げにしたがって、厳島神社の造営を行い、篤く信仰しました。社殿の造営以外にも、京都や大阪の文化を伝えたり、美術・工芸品などを奉納しました。
    中でもよく知られているのが、国宝 平家納経。
    平家納経は、なんと清盛自筆の第1巻願文からはじまり、平家一門の写経が収められています。平家の栄華は厳島神社のご加護あってこそと、喜びと感謝の意を示して奉納されました。平家納経は通常非公開ですが、年に2回特別公開しています。
    平清盛から代々篤く厳島神社を信仰してきた、平家と厳島神社のつながりが感じ取れる一品。ご覧になりたい方は事前に公開日を調べておきましょう。
    またレプリカは常時宝物館に展示されているので、公開日にご都合が付かない方も見ることができますよ。

    西松原に静かにたたずむ清盛神社

     

    <写真03_清盛神社>

     

     

    宮島の人々は、厳島神社の造営を成し、篤く信仰していた清盛に対して愛着を持っていました。
    清盛没後770年にあたる1945年には、「清盛を祀る社を」という宮島の人々の思いから清盛神社が創建されました。

     

    <写真04_西の松原 景色>

     

    清盛神社は厳島神社の北西に少し歩いた「西松原」に位置しています。実はこの西松原、江戸時代初期には存在しない場所でした。
    1541年に紅葉谷川の土石流が厳島神社の社殿に大量に流れ込む被害があり、それを機に土石流で堤防が設け、松が植えられました。これが西松原のはじまりで、清盛神社がある地はそれからさらに400年後の1945年、枕崎台風による土石流で延長されたものです。

     

    そのような地にあるため、厳島神社ほど知られておらず、静かにお参りできます。
    宮島の人々と清盛の心をつなぐ大切な場所。
    かつて栄華を極め、宮島を篤く信仰した清盛に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

     

     

     

    平清盛が造営した厳島神社 3つの見どころを深堀

     

    宮島に来たら、清盛が造営した厳島神社は欠かせません。
    国宝や重要文化財が目白押しの厳島神社ですが、今回は重要文化財に指定されている絶対外せない3つの建造物を押さえましょう。

     

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    1つ目は宮島のシンボルと言える「(おおとりい)」です。
    海面に堂々と立つ朱塗りの大鳥居は、なんと高さ約16m。現在の大鳥居は8代目にあたり、2本の主柱は樹齢約500年のクスノキで作られています。
    宮島は島自体が信仰の対象とされているため、神が宿る地上ではなく海上に大鳥居が建てられました。正確にいうと、大鳥居は海底に柱が埋まっているわけではないので「浮いている」状態です。
    いったいどのようにして浮いているのかというと…
    大鳥居の上部に玉石を詰めて「おもし」にし、約60tの重量を合計6本の柱で支えているのです。干潮時には歩いて大鳥居まで行くこともできますよ。

     

     

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    2つ目は日本で唯一、海に浮かぶ能舞台(のうぶたい)です。

     
    1568年、観世太夫が宮島ではじめて能を演じたとされています。
    観世太夫は能を大成した観阿弥の子です。そして宮島初となる能から約40年後、1605年に福島正則が常設の舞台を造営しました。老朽化や災害で2度再建されています。現在の舞台は、創建時の舞台を1994年に復元したものです。
    春に行われる桃花祭では、この能舞台で三日間にわたり能が演じられています。

     

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    3つ目は反橋(そりばし)です。
    かつて勅使がこの反橋を渡り、本殿に入ったことから「勅使橋(ちょくしばし)」とも呼ばれています。
    傾斜が急なため、渡るときには仮設の階段が設けられていました。
    反橋の柱上部に、擬宝珠(ぎぼし)と呼ばれる飾りが付いており、その1つに毛利元就が再建したことを示す刻銘があります。
    反橋の上を歩くことはできませんが、境内から見学することができます。
    出口近くにひっそりとあるので、気付かず通りすぎることのないようにしましょう。

     

     

     

    平清盛が見た夢がきっかけで、宮島と清盛はつながり、平家は繁栄していきました。
    和歌や物語にあるような栄華へと導いたのは、清盛が篤く信仰していた厳島神社が見守っていたからかもしれませんね。
    宮島を観光するときには、ぜひ清盛ゆかりの地を訪れて、平家と宮島の人々のつながりを感じてみてください。

     

     

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