歴史的建造物が立ち並ぶ 七日町のレトロな街並みを散歩してみよう
「七日町通り」(なぬかまちどおり)は、会津若松で街歩きをするなら、必ず訪れたい場所。七日町は、1590年に鶴ヶ城に入城した蒲生氏郷によって城下町を整備された際の、町人町でした。七日町通りは、上の区、中の区、下の区で別の表情を見せてくれるため、思わず写真を至る所で撮ってしまいます。そんな七日町通りを隅々までご紹介します。
この記事の目次
7の付く日に市が立つから七日町 城下町として始まった街並みの歴史
七日町通りがある七日町は、江戸時代の文書に、「江戸時代に毎月7日に市が開かれていたことから、七日町という名前が付いた」と残っており、江戸時代から継がれる非常に歴史がある町です。
現在、観光地化され多くの観光客で賑わいますが、実はこの七日町通り、江戸時代の末期には、会津戦争の戦火により町は壊滅状態でした。
会津戦争で新政府軍に敗北した会津藩は斗南(現在の青森)に移ることを強制され、町の復興は思うようにいかず、会津若松の町は、新政府軍によって復興されました。
そんな状況下でも、今回まちあるきをする七日町通り周辺の町屋部分は会津商人たちによって新政府軍の力を借りずに復興されたそうです。商人の魂を感じますね。
会津若松の町は明治初期まで会津一の繁華街として賑わいましたが、その後一時衰退します。しかし、地元の取り組みが功を奏し、今では街歩きをする旅人が絶えない、会津若松を代表する名所の一つとなりました。そんな何度も復興を繰り返してきた七日町の散策に出発です。
七日町通りに並ぶ建物群 新選組の土方歳三が宿泊した清水屋旅館跡へ
会津若松駅から市内周遊バス「ハイカラさん」で約5分。会津若松駅のお隣、七日町(なのかまち)に到着しました。レトロなまちなみが特徴で町歩きの期待が高まります!
七日町は上の区、中の区、下の区にわけられます。歴史をおさらいしたところで、さっそく上の区から町歩きのスタートです。
七日町通りの上の区は蒲生氏郷が鶴ヶ城の城主となり城下町を整備した際に造られました。大町四ツ角から七日町市民広場までの220mの通りが上の区です。
上の区では、大正や昭和初期の洋館が多くみられます。中には、会津漆器が購入できる「白木屋漆器店」や会津藩主であったキリシタン大名、蒲生氏郷の資料館「レオ氏郷 南蛮館」があります。レオ氏郷 南蛮館の一階部分には民芸品を販売するショップがあります。
このように、街並みがレトロで趣深いだけではなく、ひとつひとつが本当に立派で、つい写真を多く撮ってしまいます。
散策を続けていると石碑を発見しました。
ここには現在、銀行が建っていますが、大正時代までは清水屋旅館という旅館がありました。幕末期には、吉田松陰や新選組の土方歳三が。1882年には新島襄と八重が、そして同年にはまだ若かった森鴎外が宿泊しました。
七日町通り中の区から下の区へ 会津若松のまちあるきへ
続いて中の区に入ります。中の区は、七日市市民広場から七日町けやき通りまでの340mです。
中の区は、このような蔵や、木造建築が多くみられます。このように続いていく街並みは珍しいと思います。歩けば歩くほどわくわくします。
最後は、七日町けやき通りから始まる下の区です。七日町けやき通りから七日町駅までの250mは、お土産屋さんが沢山並んでいました。
丁寧な案内板もあり、さらに期待は高まります。
最後まで様々な歴史を感じる建物が立ち並び、とても贅沢な気分になります。
阿弥陀寺(あみだじ)まで到着したら、この街歩きは終了です。
少し疲れてしまったら、こちらの七日町観光案内所へ。
気さくで素敵な方々が迎えてくれます。
約1キロの七日町通りですが、たっぷり時間をかけて、時には一本裏道にも入ったりして、ぜひレトロな街並みを満喫してください。
所在地 : 福島県会津若松市七日町
七日町通りは会津若松に来たら必ず訪れたいと思う名所の一つになっています。会津の城下町はうまく古い建物が残されており「昔の建物はそのままに、現代で新たな命が吹き込まれ、その場所が残っていく」そんな場所でした。地元を大切に思う会津の人々と、彼らの心意気、想いがたくさん詰まっています。ぜひ訪れてみてください。