高野山の麓 和歌山県九度山にある弘法大師の伝説の舞台を巡る旅
高野山の麓にある和歌山県九度山は、豊かな自然と風情ある景色が広がる町です。
その町の中には高野山を開山した弘法大師にまつわる伝説が残されています。
今回は約1200年前にタイムスリップした気持ちで、伝説に出てくる歴史ある史跡を巡ります。
この記事の目次
高野山の麓 九度山にある女人高野 慈尊院 弘法大師の母公の祈り
弘法大師が高野山参拝の表玄関として創建された慈尊院。
安産や子育て、乳がんといった御祈願で有名です。
また「女人高野」と言われ、多くの女性が訪れる場所でもあります。
女人高野と言われ始めたのは、遡ること約1200年前。
弘法大師の母公が我が子の開いている山を一目見たい切望しましたが、当時高野山は女人禁制とされていました。
そのため生前から弥勒菩薩(みろくぼさつ)を篤く敬っていた母公は、高野山の麓にあるこちらの慈尊院を訪れて御本尊 弥勒菩薩を崇拝されます。
そして御母公がなくなった時に弘法大師は、母公が弥勒菩薩(みろくぼさつ)に化身した霊夢を見たことから、自作の弥勒仏と御母君公の霊をここに安置しました。
それ以来女人禁制の高野山の代わりに慈尊院までの参拝が「女人高野」と呼ばれています。
高野山の女人禁制が解かれた今でも、祈りを捧げに足を運ぶ人が絶えません。
弘法大師や弘法大師の母公の思いを感じ、お乳型奉納絵馬に願いを込めてみませんか。
高野山案内犬 ゴン 時を超えて九度山 慈尊院に現れた伝説の犬
続けて境内を散策していると、弘法大師像の横に「高野山案内犬 ゴンの碑」と記された像があります。
ゴンはいつからか参詣者を南海九度山駅から慈尊院へと案内するようになり、やがて慈尊院から高野山大門までの約20㎞もの道のりを案内するようになったそうです。
長い間案内犬として活躍したゴンは、2002年に27歳という犬の中では類まれな長寿でこの世を去りました。
多くの参詣者に愛されたゴンを惜しみ、こちらの像が建てられたのです。
さらにゴンは約1200年前の弘法大師を高野山へと導いた案内犬の伝説から、「お大師さんの犬」としても親しまれています。
その伝説に出てくるのは黒と白の二匹の犬で、白い毛を持ったゴンは本当に生まれ変わりだったのかもしれませんね。
弘法大師へのお告げ 和泉国から九度山に舞い降りた弁財天との対面
ひっそりとたたずむ石。
この石の前で向かい合って写真を撮る方もいらっしゃいます。
この石は「対面石」と呼ばれており、弘法大師が弁財天よりお告げを聞いた場所です。
弁財天弘法大使は古くより和泉国槇尾山の弁財天を信仰していたため、高野山を開山してからも槇尾山へ参詣していました。
槇尾山へ向かっていたあるとき、吉野川の増水で足止めをされます。
そのときにこの石の前で弁財天が姿を現し、「和泉国までの参詣は大変なため九度山に遷して参ればよい」と弘法大師にお告げになったそうです。
この対面石の前に立つと、清冽な空気を感じます。
そっと目を閉じると弁財天のささやく声が聞こえてくるようでした。
かつて幸村が過ごした屋敷跡に建つ遍照寺 静寂な雰囲気に息づく歴史
対面石から南に5分ほど歩くと、遍照寺に着きます。
先ほどの対面石のお話で弁財天が弘法大師に弁財天を九度山に移すようにお告げをしました。
そのお告げから弘法大師は九度山の東に槇尾名神社を建立され、北に別当寺として遍照寺が建てられたのです。
その後小学校建設の話があったことから、我覚寺と合併していまの場所に移りました。
そしてなんとこの場所、かつて真田幸村が過ごした屋敷があったとされています。
残念ながら屋敷は残されていませんが、寺内の静寂な雰囲気とそこから見渡す九度山の景色に心やすらぎました。
幸村はここから眺める景色をみて来るべく戦のことを考えていたのでしょうか。
神秘的で心温まる弘法大師の母公やゴンのお話、対面石でのお告げ、どの伝説も素敵ですね。
実際にその場所に立って思いを馳せると、本当に不思議な力が宿っているのを感じます。
ぜひ一度伝説の地でその力を感じてみませんか。