熊本城と共に一国二城体制を許された~八代城~歴史を紐解くぶらり旅
熊本県の南に位置する中枢都市・八代市(やつしろし)は、江戸時代、熊本藩主の筆頭家老・松井氏の城下町として歴史を刻んできました。
その象徴ともいえる、八代城跡を皮切りに、八代の歴史を体感してみましょう!
この記事の目次
八代を代表する歴史の足跡・八代城跡に思いを馳せる 歴史旅の始まり
JR鹿児島本線・八代駅からバスに乗り約15分、「八代宮前」下車すぐの「八代城跡」(やつしろじょうせき)を訪れました。
1619年、大地震により崩壊した麦島城の藩主・加藤忠広は、幕府の許可を得て加藤正方に新しい城を築かせました。
それ以降、明治維新までの間、肥後国の一国二城体制(熊本城と八代城)が続きました。
現在は城跡となっていますが、元々は4層5階の大天守が本丸にあり、2層2階の小天守や櫓と御殿がそびえ建っていました。
城跡の本丸にある八代宮に向かって進み、右へ上がると八代城跡へ登ることができます。
櫓などがあった場所にそれぞれ目印がつけられていて、建物があった当時のイメージが湧いてきます。
城を囲む水堀が真下にあり、見晴らしの良い城跡でした。
高麗門の跡からも城跡の中へ入ることができます。
水堀のまわりをウォーキングしながら、八代城跡を360度見て回ることもできるので、天守をイメージしながら歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
八代城跡 所在地 : 熊本県八代市松江城町7-34
万事にご利益をいただける?!八代城跡本丸にある八代宮をお詣り
つづいて、八代城跡の本丸にある「八代宮」を訪れました。
1870年に八代城は廃城となりましたが、1880年には南北朝時代の後醍醐天皇の皇子・懐良親王顕彰のために、本丸に八代宮が設置されることになりました。
懐良親王は、征西将軍としてここ八代の地で足利軍と戦い、八代宮の主祭神とされています。
地元では「将軍さん」の愛称で親しまれている八代宮。
幼い頃から毎日お参りに来ているという地元の方が声をかけてくださり、「八代宮では万事にご利益をいただけるのよ~」と教えてくださいました!
鳥居をくぐると、正面には仲睦まじい夫婦松があり、そのちょうど間から拝殿が見えていました。
拝殿までの正面に夫婦松があるのは初めて見たので、様々なことがうまく実を結んでいくようなご利益をいただける感じがしました。
境内には、八代城で使われていた井戸の跡も見ることができました。
平和を象徴する鳩がモチーフの可愛らしいおみくじを引くこともできるので、是非試してみてくださいね!
八代宮(八代城跡内) 所在地 : 熊本県八代市松江城町7-34
八代市の町を散策!本成寺にある八代城の遺構 再現された高麗門
最後に、八代城跡から徒歩約10分の「本成寺」(ほんじょうじ)を訪れました。
本成寺は、加藤清正の嫡男(正妻が生んだ長男)・忠正の菩提寺です。
もとは妙見町にありましたが、1634年に八代城下の現在地に移されました。
その際に八代城の高麗門が寄付されたそうです。
高麗門は一度火災で焼失してしまい、現在のものは元の形のままに再建したものです。
再建された高麗門からも、歴史を大切に思う町の人々の想いが感じられました。
城跡の中だけでなく、町中で八代城跡の遺構が見られることも感慨深かったです。
本成寺 所在地 : 熊本県八代市本町1-10-24
八代の歴史を少し身近に体感していただけましたか?
八代の象徴であった八代城だけでなく、かつて城下町だった一帯にはまだまだ沢山の歴史が残っています。
八代城跡を散策した後は、城下町めぐりをしてみてはいかがでしょうか。