伝説の生物・河童が日本初上陸した場所は八代?薩摩街道沿いの歴史
熊本県・八代市(やつしろし)にある前川沿いは、初めて知る歴史が交差する名所です!
八代の発展を支えた貿易拠点の船着き場跡や、伝説の未確認生物・かっぱの言い伝え、薩摩街道の要所と見逃せない名所をめぐりましょう。
この記事の目次
八代発展の拠点となった貿易の拠点・徳渕の津で江戸時代の風を感じて
JR鹿児島本線・八代駅からバスで約10分、八代宮前で下車し、徒歩で約5分の「徳渕(とくぶち)の津跡」を訪れました。
八代城跡の南に面する前川が目の前に広がります。
この辺りは、古くから「徳渕の津」と呼ばれてきました。
徳渕の「徳」は、財宝を意味し、江戸時代から貿易のための船が集まる津(港)として大変賑わっていました。
当時は、ここに船着場や荷揚げ場がありました。
今は石段が残るのみですが、前川を眺め行き交う船を想像すると、とても風情のある穏やかな場所でした!
加藤正方によって築城された八代城が廃城になるまでは、この場所からも天守を望むことができたのでしょう。
徳渕の津跡からは、直進で八代城跡の本丸にある八代宮まで歩いていくこともできるので、港とともに発展した八代の歴史も感じてみてください。
徳渕の津跡 所在地 : 熊本県八代市本町2丁目
日本を代表する妖怪・伝説の生物~かっぱ~は八代に上陸した?!
徳渕の津跡から、港を上がるようにして北へ進むとすぐに巨大なかっぱが座っています。
あまりに大きくて、少し驚いてしまいました!
このかっぱは、1954年に地元の人々によって建てられたそうです。
なぜこんなところにかっぱが鎮座しているのか、不思議ですね。
実は伝説の生き物かっぱは、約1500~1600年前に、中国地方から日本にやってきたと伝えられています。
国内で初めてこの地に住みついたという言い伝えがあるそうで、八代の人々にとってとても身近な存在だそうです。
付近には、いくつものかっぱの像がありました!
河童渡来の碑には、あるいたずらかっぱと町の人々との出来事も記されていました。
日本を代表する妖怪のひとつとしても身近な河童にまつわる言い伝えは諸説ありますが、もしかすると、この場所が未確認生物に遭遇することができるかもしれない有力候補かもしれませんね!
そう考えると、歴史や伝説は面白いなと改めて感じました。
河童渡来の碑 所在地 : 熊本県八代市本町2丁目
薩摩街道の要衝 多くの旅人が歩き目指した札の辻があった場所へ
かっぱの像の手前に、こんな標識を見つけました。
「札の辻・十一里木跡」と書かれています。
筑前国山家宿(現福岡県筑紫野市)から始まり、薩摩国鹿児島(現鹿児島県鹿児島市)まで続く道、江戸時代に整備された薩摩街道が通っていました。
札の辻とは、薩摩街道上の要衝のことで、この場所はちょうど熊本城下から十一里の距離である印として木が植えられました。
また幕府や藩からの御触れを掲示した「高札場」(こうさつば)も、ここにあったそうです。
江戸時代には、多くの旅人が札の辻・十一里木を目標として、長い道のりで自身の現在地を確認したことでしょう。
徳渕の津に、かっぱ渡来の地、薩摩街道の要所がぎゅっと一か所に存在する、まさに歴史と歴史が交差する場所にいることを不思議に感じた時間でした!
薩摩街道 札の辻・十一里木跡 所在地 : 熊本県八代市本町2丁目
八代の発展に一躍をかった徳渕の津と、そこから市内へ広がっていく歴史の跡を辿る旅を紹介しました。
前川沿いで景色を眺めながら少し休憩することもできるので、旅行の際ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。