竹田城跡の麓にある城下町を散策しながら竹田の歴史と変遷を知る
1443年に完成し、今は壮大な石垣が残る竹田城。
その竹田城跡の麓には白壁や、お堀、水路から聞こえるのどかな水の音、そんな風情あふれる街並みが約600メートルほど存在します。
地元の方からとても愛されている昔懐かしい街並み、寺町通りを歩きます。
この記事の目次
昔懐かしい雰囲気が残るJR竹田駅構内から駅周辺をのんびり散策
JR大阪駅から特急こうのとりに乗り、JR和田山駅でJR播但線の普通電車に乗り換えていくこと約2時間7分、JR竹田駅に到着します。
赤れんが色の電車が、時々静かに音をたてて横切ります。
JR竹田駅、昔は無人改札だったそうです。
今でも、構内に入る手前に設置された切符入れが、なつかしさを漂わせています。
待合室には、ベンチが一台設置されており、
少し光沢のある茶色の床と木の枠で作られている壁が素敵な雰囲気です。
駅構内からは竹田城跡に上る登山道が見えます。
竹田城跡へは0.9キロの道のりで、所要時間は約40分です。
竹田駅舎は1906年に開通した当時の姿をそのまま残し、どこか懐かしさを感じる風景が広がっています。
2012年4月、雲海に包まれた竹田城跡は、プロポーズの場所に相応しいとNPO法人地域活性化支援センターより認定され、今は駅舎を出て右に銘板が建立されています。
是非、素敵な写真を納めて下さい。
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田字中町西側241番地
公式HP:JR竹田駅 https://www.jr-odekake.net/eki/top.php?id=0630212
地元に愛される 竹田駅周辺の城下町~寺町通りの水路の役割に迫る~
JR竹田駅から歩いてすぐの場所に寺町通りはあります。
城下町として色濃く残る、風景がここには存在していました。
兵庫県竹田の町は、南北に長く延び現在もクランク上の道路が残されており、城下町の防御性を感じます。
緩やかに曲がった道路や遠方に見える山々、軒先が揃う建物も竹田の町の魅力となっています。
水路の水の音を聞きながらゆったりと、散策していると、
現在の慌ただしさを忘れさせてくれるような心地のよい時間が流れています。
こちらの水路は、地元の方から「絹屋溝(きぬやこう)」と呼ばれ、親しまれています。
1824年頃から町内の防火用水の確保などを目的として造られたそうです。
町を分けるように流れる絹屋溝は、もともと城下町の時代から使われていた水路を利用して整備されたものと考えられています。
水路の水は、JR竹田駅より南側にある新町の外れから、円山川の水を取り込んでいるそうです。
水路にはたくさんの鯉が泳いでおり、運が良いと背中にハートのマークの模様を持つ鯉に巡り逢えるそうです。
今回は残念ながら、ハート模様の鯉には出会えませんでした。
ハート模様の鯉はシンボルとなっており、ハート模様のたい焼きを発見しました。
寺町通りは、今も当時の姿を思い出すような雰囲気が漂います。
水路も町の人たちにとって重要な役割を果たしています。
田舎に帰ってきたような懐かしい雰囲気がとても心地良いです。
当時の姿がそのまま残る町竹田の町 城下町に佇む建物の特徴を探る
寺町通りに建つ家の屋根には、煙だしと呼ばれる小屋根が備えてあります。
竹田の城下町では100年ほど前に大火事がありました。
そのため防火への意識の文化がとても強く残っています。それを表すのがこのうだつです。
うだつとは、町屋の造りとなる妻壁(つまかべ)の横に張り出す小さな屋根のことを指します。
うだつが設置される理由として、防火壁の役割を果たしています。
隣の家に火が燃え移らないように造られているそうです。
昔から、火事による災害が恐れらており、お守りの意味も込めてうだつを備え付けている家が多くあるとのことです。
現在、うだつを見る事ができる地域は非常に少なくなっていますが、
寺町通りには、今でも昔ながらの建物やうだつが存在し、情緒溢れる街並みを感じながら歩くことができます。
また今でも「うだつが上がらない」というように、このうだつは次第に家の格を表すものとして用いられるようになったとも言われています。
約100年前の火災から、たけだ城下町交流館の中には大きな楠が火事がおこらないようにと祈りを込めて植えられています。
所在地:兵庫県朝来市和田山町竹田
竹田駅から続く寺町通り。
菖蒲の花が咲く頃や紅葉の季節はまた異なった趣きがあるそうです。
絹屋溝やうだつなど特徴的な造りや城下町の風情を感じる町並みの中には、とても穏やかな時の流れが存在していました。
ゆっくりとした時間を過ごしにぜひ一度足を運んでみてください。