阪神・淡路大震災の悲劇を忘れない1.17を語り継ぐ北淡震災記念公園
阪神・淡路大震災が起こった1995年1月17日。
忘れがたい自然の脅威を、肌で感じ、見て学べる兵庫県・淡路市の北淡震災記念公園を訪れました。
地震の体験を風化させない活動から多くのことを学ぶことができました。
この記事の目次
1995年1月17日を忘れない 阪神・淡路大震災からのメッセージ
淡路インターチェンジから車で約20分、北淡インターチェンジから約10分の「北淡震災記念公園」を訪れました。
多くの人々の心に、当時の光景が今も鮮明に焼き付いている1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。
マグニチュード7.3、最大震度7。
死者6,434名の尊い命が奪われ、負傷者 43,792名にも及ぶ未曾有の被害に見舞われました。
豊岡・彦根・京都でも震度5、大阪・姫路・和歌山で震度4を観測し、東北から九州と広範囲に及び自然の脅威が襲いました。
根こそぎ倒れた高速道路、迫る火災の脅威、全壊の家屋は10万5千棟を超え、半壊家屋も14万4千棟に達しました。
記念館に展示される数々の写真からも、当時の悲惨な光景に心が痛み、唖然として立ち尽くしてしまいました。
決して被害の数から計り知ることはできないほど、日本中の人々の心に深い悲しみを残しています。
自然の驚異を肌で体感する 今に残る野島断層から1.17を振り返る
つづいて、記念公園内にある「野島断層保存館」を訪れました。
ここでは、阪神・淡路大震災によって引き起こされた野島断層がそのまま屋内保存されています。
この写真からも分かるように、地層にはっきりと段差ができており、いかに大きな揺れであったかを物語っています。
訪れた日は、総務省主催のふるさとワーキングホリデーとして保存館でお仕事をされていた研修生の能塚さんに断層の説明を受けることができました。
10キロメートルの長さにも及ぶ、野島断層の最大のズレは上下に1.3m、横ズレが2.1mに達しました。
保存館内では写真左側の地面50cm高くなっているのが分かりますでしょうか。
地震の断層というと、普通は下に下がるようなイメージを持ちますが、これは逆断層といい、地面が隆起することによって左側が高くなっています。
能塚さんは「阪神・淡路大震災のような大きな出来事を知らないことが怖い。
知らない人こそ、次の世代へ伝えていくことが大切。」と語ってくださいました。
自然の脅威に逆らうことはできませんが、阪神・淡路大震災から私たちが次の世代に伝えられること、残せるものは何か。
一人ひとりが考え、行動していくことの大切さを学ぶことができました。
震災体験を風化させない淡路の経験を未来へ繋げる語りべボランティア
最後に記念公園内のメモリアルハウスを訪れました。
このメモリアルハウスは、野島断層が横切る民家をそのままに保存されています。
敷地内を走る断層や、震災当時の建物の様子が公開されています。
地震直後の台所が再現された場所で、震災の語りべボランティアの髙田さんにお話を伺いました。
毎週火曜日10~12時・14~16時に実体験を伺うことができます。
地震発生時、「ゴォォォー」という地鳴りで目が覚めた髙田さんは上を見ると家の中の梁が今にも外れそうになっていて、揺れがおさまるまでのわずか10数秒が永遠のような長さに感じられたそうです。
激しい揺れで立ち上がることもままならない状況。
いつ家屋が倒壊するかもしれない恐怖。
死と隣り合わせの時間。
当時の様子をもう一度目に映し出しながら語ってくださった髙田さんの表情から、1.17を語り継いでいかなければならないという使命感が伝わってきました。
そのほかに、公園内には第二次世界大戦の空襲に耐え、阪神・淡路大震災の揺れと火災に耐えた防火壁も展示されています。
野島断層をはじめ、展示されている種々の資料から震災を語り継ぎ、未来へと繋げる活動が絶えず行われています。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災から、私たちが学んだことは計り知れません。
失われた尊い命を、悲しい体験を未来に語り継いでいく。
あの日、あの瞬間を忘れないためにも、大切な人と北淡震災記念公園を是非訪れてみてください。
所在地 : 656-1736 兵庫県淡路市小倉177
公式HP : 北淡震災記念公園