兵庫県豊岡市出石の歴史舞台 江戸より出石を見守ってきた出石城へ
兵庫県豊岡市の出石。
小出吉英が築城した出石城から放射状に広がる城下町は、当時の風情感じる貴重な町並みを残し、国の重伝建に指定されています。
今回は、出石の歴史ある町並みの形成に欠かせない出石城に迫ります。
この記事の目次
但馬の小京都 重伝建 豊岡市出石城下町を一望できる 出石城へ
出石城は1604年に小出吉英が築いた有子山の麓にある城です。
吉英は、豊臣秀吉の従弟である小出吉政の長男として誕生しました。
吉政は初代出石藩主を務めましたが、吉英の祖父に当たる和泉国岸和田藩主の小出秀政が死去したことをきっかけに、吉政は岸和田藩主に、吉英は出石藩主へと代替わりとなります。
その際に、吉英が有子山山頂にあった山城を廃して新しく建てたのが出石城です。
そして出石城の築城とともに、城下町が整備されていきます。
谷山川にかかる登城橋を渡って出石城跡に入り少し階段を上ると、但馬の小京都とも称される出石城下町を見下ろすことができます。
風情ある町並みとともに、城跡から見る夕日も優美ですよ。
今に伝わる 豊岡 出石城の防御機能 現存する石垣と復元された隅櫓
ではゆっくりと出石城を見ていきましょう。
こちらは城の入口に架けられている橋で、「登城橋」と名付けられています。
この橋の向こうに見える石垣は江戸当時からのものです。
出石城は1873年の廃城令によって城のほとんどが取り壊されていますが、こちらの石垣のように一部現存しているものもあります。
登城門をくぐっていよいよ城内へと足を踏み入れます。
石段を登っていくと、二の丸が見えてきました。
入口からの石垣とは違い、二の丸の石垣は高さがあり圧倒されます。
二の丸跡からは、庭園を眺めることができ、階段で疲れた足を少し休めながら景色を楽しむのもいいですね。
さらに登っていくと、本丸跡に着きます。
出石城は天守を持たなかったため、防御の機能は主に「隅櫓」が担っていました。
現在東西にある隅櫓は復元されたものですが、壁には弓矢や鉄砲を撃つための「狭間」があり、そこから外を覗いてみるととても狭いことがわかります。
ここから敵を狙い撃つというのはなかなか難しいように感じました。
江戸から出石城とともに豊岡出石の町を見守る社 有子山稲荷社へ
実は、出石城本丸のさらに上には有子山稲荷社という社があります。
こちらの稲荷社は、出石城を築城した小出吉英が城内鎮護を目的にゆかりの地である岸和田稲荷社の分霊を勧請したのがはじまりだそうです。
城内からはもちろん、「稲荷参道」と呼ばれる参道を通っていくこともできます。
そのため身分が厳格に分けられ、限られたものしか城に入ることができなかった時代に、こちらの出石城内にある稲荷社は身分を問わず自由に参拝できたそうです。
稲荷参道には石段に沿って赤い鳥居が並び、神秘的な雰囲気が漂います。
157段の石段を登っていると、心が清らかになっていくように感じました。
登り切ると、鳥居の奥に優美な曲線を描く本殿が見えます。
本殿も含めて2017年に大改修を終えて、美しい姿を取り戻しました。
出石城と長い間出石の町を見守り続けてきた有子山稲荷社。
これからも出石の町をお守りしていただけるようお祈りして帰りました。
出石城に迫る旅はいかがでしたか。
出石の町を守り、治めてきた歴史感じる遺構を見ると、当時の城の様子を想像してしまいます。
ぜひ一度出石城を訪れて、出石の町並みとともに、出石の歴史に触れてみませんか。