大分県由布院からたどる キリスト教信者達の歩みを感じる歴史旅
沢山の歴史が眠り、豊かな自然に恵まれた地、大分県由布院。
今回はそんな由布院のキリスト教の歴史に注目して歴史旅に行ってみました。
そこから見えてきた世界は、現在の私たちの幸せについて考えさせらるものでした。
この記事の目次
どこか神聖な冷たい空気の中に佇む由布院キリシタン墓地を訪れる
由布院駅からタクシーで山道を約8分。
神聖な空気漂う山道の中にキリシタン墓地はありました。
1569年織田信長がキリスト教布教を許し、そのまま全国に広まるかに思えたキリスト教ですが、1582年の本能寺の変にて明智光秀に天下を奪われ、状況は一変してしまいます。
そんな秀吉も、当初は信長の意を受けてキリスト教を保護する動きを見せていましたが、九州において予想以上にキリシタンの布教が広まりを見せ、中にはキリシタン大名も交えて神社仏閣を破壊している事や、神官・僧侶らを迫害していることに憤慨し、1587年にキリスト教布教の禁止令を出しました。
これがきっかけでこの地由布院でもキリスト教信者は厳しく罰せられたのだそう。
一見すると、ごく普通の地元の人のお墓に見えます。
しかし奥に進んでみると四角い苔の生えたものがありました。
これが隠れキリシタンのお墓だそうです。
隠れキリシタンのものかはこの十字架のマークがあるかないかで見ればわかるとのこと。
たとえ自分の墓に名前が刻まれないとも、信仰を最後まで信じ、少しでも形に表した隠れキリシタンの人々の勇気に触れました。
ユニークな石像 石仏がたくさん拝める寺院 由布院興禅院で発見する
キリシタン墓地からタクシーで約5分。
歴史深い空気に包まれた寺院、興禅院(こうぜんいん)が見えてきました。
興禅院は1370年に創設された大変歴史がある寺院だそうです。
キリシタン禁令の折、転宗のための天罰起請文(てんばつきしょうもん)の中にも請人として、この寺の僧侶の名前が出てくるそうです。
山門の手前にある石碑は「カーンの板碑」といい、「不動明王をあらわした梵字」のことを指すそうです。
ほかにもお地蔵さまがたくさん並んでお出迎えしてくださっていました。
隠れキリシタンの墓も祭られていました。
どれがお墓なのかわからないくらいいに豊かな表情をした石仏がたたずんでおられました。
こちらは「青の洞門を開鑿した僧」で有名な禅海の像です。
禅海は青の洞門を開設する以前、ここの寺院を出身としている事で有名なようです。
ほかにもボケ封じの観音様もいらっしゃいました。
本当にたくさんの石像、石仏が展示されていて、おもしろい寺院でした。
住所: 〒879-5103 大分県由布市湯布院町川南144−1
キリシタンの桃源郷 由布院に開かれた美しいステンドグラス館を堪能
興禅院から徒歩約10分。
美しい由布院の景色を堪能しながら歩くと、レンガつくりのステンドグラス館が見えてきました。
由布院が400年前からキリシタンの桃源郷といわれ西洋の香りが根付いていた事から、この地にステンドグラス館が開かれたそうです。
チケットを買って入館しました。
中には1800年代からのヨーロッパステンドグラスを歴史的に地域別にわかりやすく展示しています。
どのステンドグラスも本当に美しく、ヨーロッパの文化に感銘を受けました。
ステンドグラス館をゆっくりと回った後は、隣にある礼拝堂も見学できます。
まるで由布院にいながら海外の美術館に来ている優雅な気分になることができました。
こちらでは結婚式を挙げることもできるらしく、古き良き英国の美へといざなわれるでしょう。
住所:〒879-5102 大分県由布市湯布院町川上2461-3
今回の由布院のキリスト教の歴史から見る歴史旅はいかがでしたでしょうか。
今の日本の比較的信仰の自由があることに感謝せずにはいられない気持ちになりました。
あなたも是非一度足を運んでみませんか。知らなかった信仰の歴史に触れることができるでしょう。