学問の神様だけじゃない?!京都北野天満宮と豊臣秀吉の関係を探る旅
京都駅から市バス50系統を利用し「北野天満宮前」下車すぐ京都北野天満宮の石の鳥居が迎えてくれます。
北野天満宮と言えば学問の神様菅原道真公で有名ですが、実はあの有名な戦国武将豊臣秀吉ともとても関わりの深い場所なのです。
この記事の目次
関白太政大臣・豊臣秀吉主催 北野の地で大規模な茶会 北野大茶会
北野天満宮は、菅原道真公をご祭神として祀っている全国約1万2000社の天満宮・天神社の総本山です。
天神信仰の発祥の地であり、学問の神として多くの学生から信仰を集めている神社でもあるため、学問の面でご存知の方は多いかもしれません。
そんな北野天満宮と豊臣秀吉には深いつながりがあることを知っていましたか?
豊臣秀吉は1587年(天正15年)10月1日、北野天満宮境内で九州平定と聚楽第(じゅらくてい)の竣工を祝して北野大茶会という大きな茶会を催したのです。
この日、秀吉は自ら亭主をつとめ、1000人以上の参会者でにぎわったとされています。
その大茶会の遺跡が北野天満宮楼門の東側に存在していました。
そのすぐそばには「太閤井戸」という北野大茶会の際に秀吉がお水を汲んだと言われている井戸も残っており、現在もまだ立派に残っているこの井戸はかつてこの場で開かれていた北野大茶会の様子を彷彿とさせてくれるものでした。
〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町
長五郎餅の由来とは?! 豊臣秀吉が大層気に入った上品なあんこ餅
「北野大茶会」の際に秀吉が大層気に入ったお餅がありました。
それが長五郎餅(ちょうごろうもち)です。
今から400年ほど前京都・北野天満宮の縁日になると決まって現れる一人の老人がいました。
境内の出店の者に小さなお餅を5〜6個売って去っていくその老人の名は「河内屋長五郎」といったそうです。
秀吉が主催した「北野大茶会」の際には、長五郎も出店仲間に誘われて茶屋を出し、秀吉に薄い餅皮にあんを包んだお餅を秀吉に献上したところ大層気に入られ、「以後『長五郎餅』と名乗るべし」と命名されたといいます。
この長五郎餅はいまも北野天満宮を出て南東へ徒歩5分程度のところに店を構えている「長五郎餅本舗」で食べることが出来ます。
午前11時~午後3時までは店内で長五郎餅を食べることが可能で、お煎茶もしくはお抹茶と一緒に頂くことが出来ます。
私はお抹茶と長五郎餅のセットを頂きましたが、秀吉主催の大茶会を体験しているような気分でした。
あんはこしあんで甘すぎずとても美味しかったです。
秀吉が気に入るのも納得ですね。
また、毎月25日限定で北野天満宮東門内に出店しており、また雰囲気の違う場で長五郎餅を楽しめるはずです。
〒602-8336 京都府京都市上京区一条七本松西入
北野天満宮内にも存在! 秀吉によって作られた京都を囲む御土居
みなさん御土居(おどい)とは何かご存知でしょうか?
知らない方が多いのではないでしょうか。
御土居とは豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁のことで秀吉による京都改造事業のひとつです。
外敵の来襲に備える防塁と鴨川の氾濫から市街を守る堤防としてこの御土居の建造が始まったのは、1591年(天正19年)1月のことで同年3月頃にはほぼ完成していたとのことです。
御土居の囲む範囲は南北約8.5キロメートル、東西約3.5キロメートルのとても広大なものですが、その一部が秀吉とのゆかりの深い北野天満宮境内西側に残されていたのです。
この北野天満宮御土居は、歴史的に価値の高い遺跡として史跡に指定されています。
北野天満宮内の御土居一帯は紅葉の名所としても知られており、10月下旬~12月上旬は御土居とともに色づいた約300本の紅葉を見ることができる「もみじ苑」となっています。
季節に応じてその雰囲気を変える北野天満宮御土居はとても趣深いですね。
学問の神様という顔とはまた別の視点で北野天満宮をご紹介いたしました。
かつて大茶会が催された場で長五郎餅をほおばりながら、歴史を感じて一服する時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
きっと秀吉と同じ空間にいるような気分にさせてくれるに違いありません。