伏見にある豊臣秀吉ゆかりの地を巡る旅~祢ざめ家・駿河屋・醍醐寺~
京都伏見は、昔からたくさんの名士が集まる場所でした。
それゆえに、坂本龍馬ゆかりの宿「寺田屋」をはじめ、名の知れた人物にまつわるお店や名所がたくさん残っています。
今回はその中でも豊臣秀吉ゆかりの3つのスポットをご紹介します。
この記事の目次
伏見稲荷大社のすぐ近く 秀吉が愛する妻の名をつけた「祢ざめ家」
まず1つ目は、人気観光名所である伏見稲荷大社のすぐ近くにある和食店「祢ざめ家」です。
伏見稲荷大社の目の前の通りには飲食店やお土産屋さん、屋台などがたくさん並んでます。
その並びにひょっこり現れるこのお店の名前の由来は、豊臣秀吉が母の健康を祈願するため朝早く伏見稲荷大社を訪れたときに遡ります。
参拝を終え休憩しようとした秀吉は、お店を探していましたが、早朝のため開いているお店をなかなか見つけられませんでした。
しかしこの祢ざめ家だけが店をあけており、ここでお茶を飲んだ秀吉は、店に「ねざめや」という屋号をつけ、しかも「ね」の文字には妻の“祢々(ねね)”の「袮」をあてたそうです。
昔懐かしい雰囲気の店内で、私は今まで食べたことがない「うずら焼」をいただいてみました。
普段食べているにわとりのお肉とは食感が全然違いました。
コリコリしていて、あっさりとした味で、お店のタレがよく合っていました。
ぜひ伏見稲荷大社に行った際には寄ってみてくださいね。
秀吉に献上された焼羊羹が有名 伏見・中書島の和菓子屋「駿河屋」
続いてご紹介させていただくのは、中書島駅から歩いておよそ15分のところにある和菓子屋「駿河屋」です。
江戸時代の中頃、大坂と京を結ぶ水路の宿波町として栄えていた伏見の伏見港の畔で営んでいた駿河屋。
その立地のために諸大名がよくお土産として和菓子を買っていたそうです。
さらに、5代目岡本善右衛門が1589年に「煉羊羹(ねりようかん)」を作り、豊臣秀吉に献上し、聚楽第(じゅらくてい)で秀吉が開いた大茶会で駿河屋のようかんが引き出物として配られて諸大名の賞賛を受けたといわれています。
これが「煉羊羹」の始まりとされ、現在も販売されています。
江戸時代から続く「夜の梅」は、夜に咲く白い梅を見立ててつくらたものです。
日本らしい風流な羊羹ですね。
一口頂くと、あっさりとした小豆の甘みが広がり、ねとっとした口当たりでとてもおいしかったです。
日持ちするのでお土産にもおすすめです。
また、近くの酒造のお酒を使った酒饅頭もおすすめです。
この周辺は日本酒の酒造がたくさんあるので、酒造めぐりも楽しいですよ。
秀吉自らが設計した国宝級の庭園と五重塔が残る伏見の名所「醍醐寺」
京都最古の木造建築である「五重塔」(国宝)がある醍醐寺は、秀吉が「醍醐の花見」を開催したことでも知られています。
目の前に立ってみると、その貫禄に圧倒されてしまいます。
天暦5年(951年)に完成したことを考えると、長い歴史の中で生き続けているその生命力を感じ、パワーをもらいました。
そして醍醐寺のもう一つの魅力として、「三宝院」の庭園があります。
特別史跡に指定されているこの庭園は、ただ見るだけでなく、その細部について知れば知るほど面白いですよ。
例えばこの大きな石と両脇の小さな石は、「天下の名石」といわれ、この石を持つ者は天下をとると言い伝えられていました。
秀吉はこの石を信長の次に引き渡された人物だそうです。
そしてこの3つの石を阿弥陀三尊に見立てており、池の向こう側を「あの世」としました。
こんなお話を聞きたい方はぜひ庭園の近くのスタッフの方に聞いてみてください。
たくさん教えてくださいますし、聞きにくい方は醍醐寺のHPにて紹介されておりますので、ぜひそちらをご覧ください。
こうした石の配置や松、島など、それぞれに意味があるので、三宝院ではそちらも楽しんでみてくださいね。
秀吉が愛したお店、和菓子、お寺、庭園。
伏見にはそんな秀吉ゆかりの地がたくさんあります。
天下統一を目指していた豊臣秀吉。
その人柄は「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」といってよく表されますが、実際はどういった人物だったのでしょうか。
秀吉に思いを馳せながら、五感で伏見を楽しんでみてくださいね。
■所在地
[祢ざめ家]京都市伏見区深草稲荷御前町82-1
[駿河屋本店]京都市伏見区下油掛町174
[醍醐寺]京都市伏見区醍醐東大路町22