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南海の名城「高知城」 歴史に名を馳せる偉人が生きた土佐の江戸時代

  • 高知県・高知市に江戸時代の姿を、今に伝える名城・高知城があります。

     

     

    数々の歴史を連ねてきた場所は、坂本龍馬のほかに多くの偉人の故郷でもあります。

     

     

    今回は、そんな高知城周辺を歩く、歴史旅に行ってみましょう!

     

     

     

    山内一豊が築いた重要文化財・高知城 日本唯一の本丸現存建築群

     

     

    <写真01_交差点からの高知城>

     

     

    高知城前駅下車し、徒歩約5分のところにそびえ立つのが名城「高知城」(こうちじょう)です。

     

     

    2017年3月4日にオープンする「高知城歴史博物館」前の交差点から、その姿が見えます。

     

     

    もともと、この地には南北朝時代に築かれた「大高坂城」(おおたかさ)がありました。

     

     

    関ケ原の戦いで功績をあげ、徳川家康から土佐一国を拝領・入国した山内一豊が、1601年秋から高知城の築城を始めました。

     

     

    全容が完成したのは、それから10年後・二代目藩主忠義の治世になった頃です。

     

     

    その後、火災や明治維新による廃城、太平洋戦争など、数々の危機を乗り越え、国内に残る木造の12古天守の一つとして愛されつづけています。

     

     

    また、日本で唯一現存する、本丸建築群を残す大変貴重なお城で、別名を「鷹城」(たかじょう)と呼ばれます。

     

     

    <写真02_追手門>

     

     

    早速、この堂々たる追手門をくぐり、天守閣を目指して行ってみましょう!

     

     

    <写真03_階段>

     

     

    天守への道中にある幾段もの石段は、敵が攻めてくる上がりの際は歩幅が合わず、上から下る際は降りやすいように工夫されているそうです。

     

     

    実際に上っていくと、たしかに歩幅が合わず、結構な体力を使いましたが、近づくほどに立派な天守閣を見上げることができ、見る方向によって様々な表情を楽しむことができます。

     

     

     

    高知の地名のはじまりとなった高知城で歴史の変遷を知る~懐徳館~

     

     

    <写真04_詰門>

     

     

    続いて石段を昇りきると、鉄門跡(くろがねもんあと)と詰門(つめもん)に到着します。

     

     

    正面に見えている詰門から、敵は自然と天守への順路と思い込み、進んできたところを襲撃するという方法で撃退していたそうです。

     

     

    私もてっきり、ここから天守に入るのかと思い、そのまま進みそうになりました。

     

     

    鉄門跡の右側下には、かつて三ノ丸御殿があった場所へつづき、右側上への石段を進むと、藩主が暮らしていた二の丸が広がっています。

     

     

    天守へ行く際は、二の丸へ上がり詰門から入ります。

     

     

    <写真05_本丸・天守>

     

     

    門をくぐると、いよいよ本丸に至ります。

     

     

    天守閣は外から見ると4層構造ですが、中は6層構造になっています。

     

     

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    まずは、本丸正殿の別名である「懐徳館」(かいとくかん)へむかいました。

     

     

    廊下を進むと、物見窓を見ることができます。

     

     

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    この物見窓は、鉄砲狭間を覗くだけでは敵全体の動向を把握できない難点をカバーし、本丸東南の物見を一手に引き受けていたそうです。

     

     

    軍学上、とても重要で、高知城のみに残っています。

     

     

    物見窓から見える高知市内に、近づく天守からの景色に期待が高まりました。

     

     

     

    高知市内を一望 見渡す限りのパノラマ絶景を堪能!天守の花回廊

     

     

    <写真08_高欄>

     

     

    高知城天守の最上階にはぐるりと回り歩ける黒漆の高欄が設置されています。

     

     

    高欄は権威の象徴として、山内一豊が家康に許可を請い、特別に取り付けられました。

     

     

    当時の四国でも高知城にのみ見られる特殊なもので、山内一豊の権力の大きさを感じました。

     

     

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    その高欄から見える、景色は360度の絶景です。

     

     

    美しく連なる山々と空、市内を見渡すと、晴れ晴れしい気分になりました。

     

     

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    当時城下町であった町並みを見ると、活気に溢れた様子が浮かんできました。

     

     

    高欄から間近に見れる鯱や、本丸の景色も素晴らしかったです。

     

     

    <写真10_天守からの景色2>

     

     

    <写真12_天守からの本丸>

     

     

    天守には、忍び返しがあり、両刃の鉄剣がついています。

     

     

    <写真13_忍び返し>

     

     

    これも大変珍しいタイプの鉄剣だそうで、敵を威嚇するのに大いに役立つ迫力がありました。

     

     

    <写真14_石垣>
    高知城の石垣は、雨の多い土地柄を考慮し、非常に頑丈に築かれています。

     

     

    現存する天守に、本丸・二ノ丸・三ノ丸と、どこをとっても見どころたっぷりな高知城。

     

     

    歴史の奥深さに感銘を受けずにはいられませんでした。

     

     

     

    歴史に刻まれる高知の偉人 龍馬とともに日本を変えた~板垣退助~

     

     

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    高知出身の偉人として、ほかにも忘れてはならないのが自由民権運動の主導となった板垣退助です。

     

     

    高知城登城口には板垣退助の銅像があります。

     

     

    政治家としてのイメージが強いですが、土佐藩の武士の家に生まれ育ち、戊辰戦争の際にも活躍しました。

     

     

    同じく土佐藩の中岡慎太郎とは交流があったそうですが、生前に龍馬と会ったことはないようです。

     

     

    明治時代に入り、政治の世界で活躍し、「板垣死すとも自由は死せず」という名言を今に残しています。

     

     

    <写真17_板垣退助像 高知城アップ>

     

     

    高知城をバックに、自由民権運動最高指導者として、右手を掲げる姿に、今の私たちの自由について考えました。

     

     

    現代に伝えられる歴史人の強い思い・志が、ひとつひとつの変革を生んだことがとても感慨深かったです。

     

     

    高知城を訪れた際は、様々な歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

     

     

    高知城 所在地:高知県高知市丸ノ内1丁目2-1

     

     

     

    日本の百名城・高知城をめぐる歴史旅を楽しんでいただけましたか。
    初めて訪れたとき、2度、3度と訪れても、いつもきっと新しい発見がある。それが歴史旅の魅力ではないでしょうか。

     

     

    高知城の素晴らしい花回廊から、高知の歴史をより身近に感じてみてくださいね。