1872年創業 三朝温泉の老舗旅館「木屋旅館」の魅力に迫る!
鳥取県三朝(みささ)の温泉本通りにある、1868年創業の木屋旅館。
創業当時、まだ兼業で営む旅館が多かった中、旅館業の専業へ舵を切りました。
今回はそんな三朝町の温泉旅館の先駆けとなった木屋旅館を訪ねます。
この記事の目次
三朝温泉の老舗温泉旅館 木屋旅館の歴史
「古き良き湯の宿」と称する木屋旅館。
その名の通り、木屋旅館は約150年の歴史をもつ老舗温泉旅館です。
建てられた時期によって大きく「明治の館・大正の館・昭和の館」の3つに分けられ、全館国の登録有形文化財に登録されています。
木屋旅館のはじまりは江戸時代にさかのぼります。
庄屋として村の自治を行いながら、旅館を営んでいました。
山の産物を鳥取藩に納めていたことから、当時の屋号は「木屋」。
1868年、明治初年に旅館業を専業とし、屋号をそのまま引き継いで「木屋旅館」となりました。
当時、まだ温泉旅館だけで生計を立てられるほど入湯客がいなかったため、三朝にあるほとんどの旅館は兼業でした。
三朝温泉が全国に知られるきっかけとなったのは、1912年の山陰線開通。
関西圏から出雲大社を訪れた参拝客が、三朝温泉に寄って帰るという流れができました。
このときに兼業をやめた専業旅館の数が増えたのです。
その状況を踏まえると、木屋旅館は一歩早く温泉旅館としてのスタートを切った、とも言えるでしょう。
さらに1916年、三朝温泉のラジウム含有量が「世界一」となり、爆発的に入湯客が増えました。
木屋旅館はこの機に増設し、「大正の館」ができます。
そして高度経済成長期に入ると、三朝への旅行者も右肩上がりで、既存旅館は増改築に追われます。
このときにできたのが、3つの館最後の「昭和の館」です。
こうして時代とともに進化してきた木屋旅館。
今回は歴史ある木屋旅館の魅力をたっぷりお伝えします。
三朝温泉 木屋旅館のラドン泉 効能を最大化する3つの方法
温泉旅館となれば、やはり「温泉」が一番の魅力。
木屋旅館の温泉は、ラドン含有ラジウム塩化物泉、いわゆる「ラドン泉」と言われるものです。
ラドンには血液に作用して老廃物を除去する「イオン化作用」や、ラドンに含まれる微量の放射線が細胞に有益な刺激を与える「ホルミシス効果」があります。
木屋旅館ではそんなラドン泉を3つの方法で楽しめます。
一つ目は「入る湯」。
写真は「楽泉の湯」です。
自然に湧き出ている源泉を使ったお風呂で、温度調節もしていないため、ラドン濃度と湯の温度が高いのが特徴です。
ラドンは浴水温が高いほど、皮膚から体内に入っていく量が増加します。
つまり体内に入ってくるラドンの量が多いということ。
ゆっくり入って、ラドンを体内へ染みわたらせます。
高温なので入る前には「かけ湯」をし、長湯にならない程度にしましょう。
二つ目は「飲む湯」。
飲んでみるとほのかに塩分を感じました。
飲むことでラドンを体内に取り込み、より免疫力を高めることができます。
デトックス効果もあることから、女性に人気です。
三つめは「吸う湯」。
湯気を吸いこむことで、ラドンに含まれる微量の放射線が抗酸化機能を高めてくれます。
また呼吸器系の疾患にも効果があるとされています。
温泉に入りながらでもいいですが、木屋旅館には「穴ぐらの湯」という、サウナのような吸う温泉があるので、ぜひ入ってみてください。
また温泉だけではなく、ラドンが充満しているお部屋でホットヨガができたり、マッサージをしていただけるコースもあります。
「どう組み合わせたらいいのだろう」とお悩みの方は、木屋旅館の「ラジムリエ」に相談しましょう。
お悩み別、目的別にオススメのコースをご案内してくれますよ。
所要時間は約5分で、宿泊者の方限定で料金は不要です。
宮沢賢治と木屋旅館の深いつながりとは
温泉を楽しんだら、リラックススポットですこし休憩。
三朝の伝説や宮沢賢治に関する本があり、自由に読むことができます。
なぜ宮沢賢治?と思われた方、実は宮沢賢治と木屋旅館には深いかかわりがあるんです。
木屋旅館の大女将の父、河本緑石は盛岡高等農林学校で賢治と出会い、同人文芸誌「アザリア」を一緒に制作します。
緑石と賢治は卒業後、教師のかたわら創作活動に励み、互いに刺激を受けていました。
しかし緑石は溺れた同僚を助けようとして、37歳という若さでこの世を去ります。
賢治もその2か月後に病に侵されて、後を追うように亡くなりました。
賢治の未完成の遺作「銀河鉄道の夜」に出てくる、溺れた友人を救って亡くなったカムパネルラは緑石がモデルという説もあります。
そうしたつながりから、木屋旅館には宮沢賢治に関する本があるそうです。
木のぬくもりがある空間で、賢治と緑石を思いながら「銀河鉄道の夜」を読んでみては。
三朝温泉 木屋旅館のお部屋をご紹介
増改築を繰り返してきた木屋旅館は、明治の館・大正の館・昭和の館と大きく3つの館に分かれています。
それぞれの館は迷路のような廊下でつながっており、館内の移動をするだけでわくわくします。
お部屋は3館合わせて14室です。
部屋ごとに違った雰囲気があり、ひとつとして同じ部屋はありません。
限定1室の大正時代に造られた部屋「萩」は、明治・大正を合わせたお部屋です。
寝室が明治時代の洋館、和室が大正時代となっています。
角部屋で温泉街本通りに面しているため、温泉街を眺めながらゆっくりと過ごすことができます。
4室は昭和時代の純和室D「若葉・南天・雪・月」です。
10畳の広々としたお部屋に、温泉が出るユニットバスが付いており、お子様連れの方に人気となっています。
2室は明治の和室「栃・桜」。
栃のお部屋は三徳川に面した心落ち着く書院造で、大正から昭和にかけて活躍した詩人・野口雨情が滞在した部屋でもあります。
雨情は代表作「シャボン玉」をはじめ、数々の民謡・童謡を創作し、「童謡」のイメージを確立した人物です。
作品はいずれも田園的で人間の温かさが伝わってくるようなもの。
そんな作品を生み出した雨情は、栃の部屋で川のせせらぎを聴きながら、心身をやすめていたのでしょうか。
3室は一番スタンダードな昭和の和室C「野菊・紅葉・桔梗」。
紅葉と桔梗は三徳川に、野菊は温泉街本通りに面しています。
昭和の和室Cには障子の一部にガラスが入った障子があり、外を見ることができる仕組みです。
障子を通して自然の光が室内に入ってきます。
畳に腰を下ろすと、ガラスの部分から外の景色を楽しめます。
ぜひ電気を付けずに、太陽や月の光に照らされて、上質のひとときをお過ごしください。
眺望を気にかかる方は昭和の和室B、「山吹・撫子・あやめ」がオススメです。
あやめのお部屋は、円月窓や網代天井といった意匠が凝らされており、雑誌にも取り上げらています。
足腰が不安な方は、1階にある昭和の和室「らん」はいかがでしょうか。
比較的小さめのお部屋ですが、温泉も1階にあるので移動も楽ですよ。
またお部屋でいただく、地元の食材もふんだんに使ったお料理は絶品。
野菜やお魚に限らず、お米も三朝産のコシヒカリです。
文化財の中で味わう三朝の味は、雰囲気も相まって格別ですよ。
木屋旅館にお泊りの方必見 三朝町の観光スポット3選
木屋旅館でゆっくりとお過ごしになった後には、ぜひ外へ出て三朝町を満喫してください。
湯めぐりもいいですが、三朝町には温泉以外の魅力もたくさんあるんです。
こちらの三朝バイオリン美術館は、日本唯一のバイオリン美術館です。
展示やコンサートを通じて、バイオリンを目で耳で感じることができます。
コンサートは小さなお子様も参加できるものもあり、幅広い世代の方がバイオリンを楽しめます。
温泉ではなく「音楽」で心を癒すのもいいですね。
お酒がお好きな方は、世界で認められた「古酒」を造る藤井酒造に行ってみては。
近年の熟成ブームや日本酒ブームで注目を集める、日本酒の熟成酒「古酒」。
藤井酒造の「白狼(はくろう)」という銘柄は、世界最大級のワインコンテストIWCのSAKE部門でゴールドメダルとトロフィーを受賞しました。
うっとりするほど美しい琥珀色で、自分用にもプレゼントにもオススメです。
そして最後にご紹介するのが、日本一危険な国宝「投入堂」です。
修験道の聖地として栄えた三徳山にあるお堂で、なんと断崖絶壁に立っています。
入ることはできませんが、近くまでいくことができます。
巨岩を乗り越え、鎖を頼りに坂を登り、修験道で身を清めながらたどり着いたとき目にする投入堂は感動ですよ。
ぜひお泊りになった際には、温泉以外でも三朝町を楽しんでください。
木屋旅館の魅力、たっぷりと感じていただけましたか。
約150年の歴史ある木屋旅館は、重文建造物の魅力にとどまらず、文豪宮沢賢治とのつながりといった温泉旅館の枠を超えた魅力がたくさんあります。
三朝へ旅行される際には、実際に泊まってその魅力を感じてみてくださいね。