愛知県蒲郡といえばこの三か所 八百富神社・竹島・藤原俊成を巡る旅
大阪から大垣 名古屋を経由し約4時間。
蒲郡のシンボル竹島をはじめ、八百富神社、そして、八百富神社を創建した藤原俊成をめぐる旅。
今回は蒲郡といえばここ!というおすすめスポットかつ歴史を感じられるスポットを三つご紹介します。
この記事の目次
家康が戦勝祈願に訪れたパワースポット蒲郡八百富神社で神々を参拝
蒲郡駅を出発し、約20分歩くと竹島の入り口前の公園のような場所が見えてきます。
まず訪れたのは八百富神社(やおとみ)の逢拝所です。
八百富神社の御祭神は天照大神の神子天真名井の三女神、市杵島姫命であり、竹島弁天の名で有名です。
1600年、関ヶ原の戦いの前には徳川家康が参拝し、その後朱印4石8斗を寄進したとも言われています。
開運や安産、縁結びの神様です。
訪れる人は老若男女さまざまなようですが、カップルや夫婦が多くみられます。
1705年水飢饉の際に、西ノ郡(蒲郡市)の領主、松平義尭(よしたか)はここ、篠津逢拝所(しのづようはいしょ)(竹島八百富神社逢拝所)で雨乞いの祈願をしたところ恵みの雨が降り、豊作となった歴史があるようです。
雨乞いの祈願をしていたのが竹島を目の前にし、現在も潮干狩りが盛んな海辺が広がるこの場所であることに感動します。
続いて、竹島に向かって竹島橋を渡ります。
橋を渡り101段の階段を上ったところで手を清め、竹島内の五つの神社を巡ります。
まず訪れたのは宇賀神社(うがじんじゃ)です。
食べ物や商売繁盛の神様です。
竹島に入り、すぐに見えてくる宇賀神社はずっしりとしていて、蒲郡の名産や商売を支えているかのように感じます。
続いて宇賀神社に向かい合って見えてくるのが大黒神社(だいこくじんじゃ)です。
こちらは商売繁盛や経営の神様です。
宇賀神社に向かうようにある大黒神社は蒲郡の商売を陰から支えているようにも感じられます。
その右隣、馬の像の横には千歳神社(ちとせじんじゃ)であります。
長寿や勉学、芸能の神様です。
和歌で有名な藤原俊成卿が祀られており、ここに来るだけで、何か良い発想ができそうな気がします。
千歳神社の正面左にあるのが、八百富神社(やおとみじんじゃ)です。
さらに奥には家内安全や夫婦円満、厄除けの八大龍神社があります。
四つの神社とは少し離れたところにひっそりとあり、奥ゆかしい家族の愛情を感じます。
長い橋を渡った先には蒲郡のシンボル竹島 その景色と自然で癒される
蒲郡駅から海沿いを歩くこと約20分。
竹島橋の入り口に到着です。
滝信四郎氏が、1931年に自費で橋をかけ蒲郡町に寄付したのが竹島橋のきっかけとなりました。
一本の長いまっすぐな橋は見ているだけで進みたくなるほど竹島までまっすぐに続いています。
竹島橋は約400m、歩くと約5分です。
橋から対岸を向くと、立派な蒲郡クラッシックホテルや、小さく弘法山の子安弘法大師が見えます。
なんだか観光スポットを見渡しているような気持ちになります。
藤原俊成が滋賀県竹生島か勧請したと言われれいる竹島は、八百富神社の社叢となっていて、五つの神様が祀られています。
緑豊かな暖帯林の竹島には対岸とは全く異なった植物が65科238種あることから1930年文部科学省より天然記念物の指定を受けました。
竹島を半周できるような竹島遊歩道が設置されていて夕日がきれいに見えるスポットでもあります。
八百富神社を創建し蒲郡を発展させた藤原俊成 見守る先には竹島
蒲郡駅から竹島に向かって歩くこと約20分。
竹島を見つめている人の像が見えてきます。
こちらは、藤原俊成の像です。
藤原俊成は平安時代の代表的歌人で、勅撰和歌集「千載和歌集」(せんざいわかしゅう)の撰者を務めました。
また、小倉百人一首の選者の藤原定家の父でもあります。
平安時代後期の1145年、藤原俊成は三河国の国司(現在の県知事)に任命され、現在の蒲郡中心部を開発しました。
駅前のロータリーには、「涼みが杜」(すずみがもり)碑が建てられています。
竹島弁財天は1181年に藤原俊成が琵琶湖にある、竹生島より勧請したと伝えられています。
そんな俊成が竹島を眺めている姿はまるで、親が子を見ているようで何とも心温まる光景です。
そんな藤原俊成の像がある広場、俊成苑は2007年に従来の竹島園地を宝くじ助成金によって、藤原俊成卿銅像を中心とした芝生広場にリニューアルされました。
蒲郡を代表する観光スポット竹島の歴史や歴史にまつわる人物を巡る旅はいかがでしたでしょうか。
歴史を知ったうえで蒲郡竹島を訪れることで竹島の、俊成の世界に入り込めます。
愛知県蒲郡といえば外せない竹島の歴史旅をぜひお楽しみ下さい。