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三朝温泉を楽しんだ後は温泉街へ!三朝を楽しめるスポットをご紹介

  • 世界屈指のラジウム温泉が有名な鳥取県三朝町。
    今回は温泉で身体を癒した後に立ち寄りたい、三朝町ならではのスポットをご紹介します。
    どのスポットにもストーリーがあり、知れば知るほど心に響いてきますよ。

     

     

     

    三朝川に架かるフランスとの友好の証 恋谷橋

     

     
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    三朝川に架かる3本の大きな橋のひとつ「恋谷橋」。
    恋谷橋の由来は「小井谷」という近くの地名から取ったと言われていますが、その裏である悲しい物語が伝えられています。
    、恋谷に美しい娘が、その対岸にたくましい青年が住んでいました。
    青年は娘への想いが募り、増水していた川を渡って会いに行こうとします。
    ところが2人の恋を妬んだ龍神が、青年を川に引き入れました。
    娘は「瀬を速み流れる水に逝きし人 橋だにあらば会えましものを」と歌を残して、青年の後を追いました。
    村の人々は、2人の悲しい恋の結末に哀悼の意を示そうと、橋を架けたという物語です。

    また恋谷橋は別名「ブァレ・ドゥ・ラムール」(恋の谷)といい、三朝とフランスの交流を示しています。
    三朝温泉がラジウム温泉であることから、ラジウムの発見者マリ・キュリーの故郷フランスと交流を深めてきました。
    そんな三朝町とフランスの恋は、1990年にフランス南部の町ラマルー・レ・バンとの姉妹都市提携で実り、現在に至るまで親密な関係が続いてます。

     

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    三朝町とフランスのように恋を実らせたい方は、恋谷橋中央にある「縁結びかじか蛙」をやさしくなでましょう。
    よいご縁を授かると言われていますよ。

     

     

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    縁結びかじか蛙をはじめ、かじか蛙は三朝町の「マスコットキャラクター」のような存在です。
    三朝川に生息しているかじか蛙は、高温の美しい鳴き声で涼しけさを感じさせる5月の風物詩となっています。
    その鳴き声は、思わず立ち止まって聞き入ってしまうほど。
    鳴き声が聞こえなくても、温泉本通りではかじか蛙のフィギュアや置物がたくさん置かれているので、ぜひ探してみてくださいね。

     

     

     

     

    関西建築界の父・武田伍一が手掛けた 国登録有形文化財 三朝橋

     

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    三朝川に架かる「恋谷橋・三朝橋・かじか橋」の内、こちらの三朝橋は国の登録有形文化財に登録されています。
    かつて木橋だったのを老朽化のためコンクリート橋に架けなおすことが決まり、1934年に関西建築界の父・武田伍一によって設計されました。
    国会議事堂や同志社大学の設計に携わり、ヨーロッパの新しいデザインを日本に広めた武田伍一。
    三朝温泉の風情ある景色を損なわないコンクリート橋にするため、柱に擬宝珠(ぎほうじゅ)をつけた欄干や春日燈籠が置かれるなど、工夫が施されています。
    国内では珍しい若櫻町の青御影石(あおみかげいし)が使用されたことも、三朝橋の貴重さのひとつです。
    当時を代表する建築家によって造られた三朝橋は、移動手段の橋というよりも「芸術」の域に入っています。
    夜には橋全体がライトアップされるので、より温泉街の情緒を感じることができますよ。

     

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    そして三朝橋の横には、映画「」の主人公の像があります。
    昭和初期に制作された無声映画で、現在でも三朝で定期的に上映されています。
    三朝で暮らす1人の女が、旅する画家の男に恋をする話です。
    2人は恋に落ちるのですが、東京から使いがやってきて、東京にいる男の婚約者が死の床にいるから帰ってきてほしいと伝えます。
    男は婚約者に会うために1度東京へ戻り、また三朝に戻ってくると女と約束して三朝を去りました。
    しかし女は明日遊郭へ身を売ることが決まっており、もう2度と男と会うことはできない、という悲しい物語です。
    像の目線を合わせようとしない女から、もう2度と愛する人に会うことのできない悲しみを感じました。

     

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    三朝橋のすぐ横の温泉本通りでは、地面に三朝小唄の歌詞が書いてあります。
    もともとはこの唄からはじまり、大ヒットして映画化されたのです。
    三朝温泉の知名度も一気に上がり、客足が途絶えなかったそうですよ。

     

    レトロ感たっぷり 湯の街ギャラリー 梶川理髪店

     

     

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    「湯の街ギャラリー」は、鳥取県三朝(みささ)の温泉本通りにある18軒の旅館やお店を中心とした小さな博物館です。
    切り絵・・彫刻と、展示品はそれぞれ異なり、町の温かさを感じる博物館になっています。

     

     

     

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    その1つが、温泉本通りに入ってすぐのところにある「梶川理髪店」。
    オーナーが世界中から集めた理容用器具を展示する、理容資料館です。
    理容店の看板や髭剃り用のシェービングマグなど、理容に関するレトロで可愛いものが展示されています。
    外のショーケースを眺めていると、ご夫婦が優しく中へ迎え入れてくれました。

     
    こちらは「理髪椅子」です。
    写真手前は、19世紀半ばヴィクトリア朝の理髪椅子で、高級なダイニングチェアに見えます。
    それに枕が付いたものが、奥の椅子です。
    なんと明治天皇に献上された椅子を製作した、横浜の松浦商会の製作した椅子。
    座る部分にはライオンがデザインされ、深い茶色やスタッズからも重厚感があります。
    明治天皇に献上された椅子にも、ライオンの彫刻があったと伝わっているので、もしかしたら同じ型のものかもしれませんね。

    理髪椅子には実際に座ることができるので、思い出に1枚写真を撮ってみてはいかがでしょうか。

     

     

     

     

    カムパネルラの館で宮沢賢治の世界に浸る

     

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    最後にご紹介するのは「カムパネルラの館」です。
    カムパネルラの館は、温泉本通りの中央辺りにある木屋旅館の直営喫茶「茶房 木木」の中にあります。
    カムパネルラの館も湯の街ギャラリーのひとつで、さまざまな宮沢賢治に関するものが展示されています。

     
    「カムパネルラ」とは、宮沢賢治が書いた「銀河鉄道の夜」に登場するキャラクターの名前です。
    主人公ジョバンニと一緒に銀河鉄道に乗って旅をする親友、カムパネルラ。
    そのカムパネルラのモデルとされているのが、木屋旅館の大女将の父にあたる「河本緑石」です。

     

     

    賢治と緑石は、岩手県の農林高校の出身で、一緒に同人誌を作成していました。
    お互いに創作活動に励み、刺激を与えあうよき親友であったそうです。
    しかし緑石は溺れた同僚を助けようとして、37歳という若さでこの世を去りました。
    銀河鉄道の夜に出てくるカムパネルラも、溺れた友人を救って亡くなっています。
    親友である緑石の訃報を聞いた賢治は、カムパネルラに重ね合わせたのでしょうか。

     
    銀河鉄道の夜に関するものだけでなく、「雨ニモ負ケズ」の手書きコピーなど、館内外にも賢治ファンにはたまらない品々が展示されていました。
    賢治ファン出ない方も、喫茶でひと休みついて、文豪 宮沢賢治の世界に浸ってみては。

     

     

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    三朝町の知られざる温泉以外の魅力あふれるスポット、いかがでしたか。
    悲しい恋の伝承に、明治天皇と椅子、銀河鉄道の夜と、ストーリーとともにお届けしました。
    ぜひ三朝温泉だけではなく、温泉街もお楽しみください。