倉吉絣と稲扱千刃で発展した倉吉白壁土蔵群の町並み
江戸中期から稲扱千刃(いなこきせんば)と倉吉絣(くらよしかすり)が全国へと広まり、商家町として発展を遂げた鳥取県倉吉。
いまもなお町屋や土蔵が残り、商家町の風情ある景観を見ることができます。
今回は倉吉白壁土蔵群の周辺を歩きましょう。
商家町 倉吉の成り立ち
倉吉には、町屋が並ぶ本通りと、土蔵が連続する玉川沿いから成る「商家町」が広がります。
もともとは商家町ではなかったものの、古来より鳥取県の政治経済において重要な地でした。
倉吉は奈良時代、鳥取県の中部から西部にあたる伯耆国(ほうきのくに)の一部で、伯耆国の中心となる国庁が置かれていました。
1356-1361年の間に、守護大名・山名時氏が、備中・津山の往来に便利な倉吉に目を付けて、打吹城(うつぶきじょう)を築城します。
打吹城の築城によって、倉吉は城下町として整備されていき、町の骨格ができあがりました。
倉吉は商工業者が集まり、定期市も開かれて大変にぎわっていたそうです。
ところが1615年の一国一城令によって、打吹城は廃城となり、城下町としての機能を失います。
そして鳥取藩に組み込まれた倉吉に、打吹山のふもとに藩庁である陣屋が設けられました。
江戸時代中期に入って、海運が発達して物や人の移動が盛んになり、全国的に商品経済が浸透します。
そんな経済の中で、倉吉の発展に一躍買ったのが倉吉の「稲扱千刃(いなこきせんば)」と「倉吉絣(くらよしかすり)です。
稲扱千刃は、収穫した稲穂から籾(もみ)粒をしごき取る脱穀に使う道具です。
倉吉の稲扱千刃は、しごき取る派の部分を従来の「竹」ではなく、頑丈な「鉄」で造られているため、すこしの力で脱穀ができることから生産性が飛躍的に向上しました。
倉吉絣は深みのある藍色の生地に、繊細な模様が織り出されています。
非常に丈夫で、使って洗うほど味が出てくることから高額で取引されました。
稲扱千刃と倉吉絣は商人によって全国で販売され、「倉吉」の名が広まっていきました。
そうして富を得た商人たちが町屋や土蔵を建て、現在の倉吉の町並みが形成されたのです。
名所 倉吉白壁土蔵群の特徴
そんな江戸時代中期から本格的に形成された倉吉の町並み。
まずは玉川沿いに位置する「白壁土蔵群」を訪れました。
白壁土蔵群は江戸から明治にかけて建てられた、赤い瓦に白壁の土蔵が並んでいる地区です。
赤い瓦は山陰地方特有の瓦で、「石州瓦(せきしゅうがわら)」が起源と言われています。
石州瓦は耐火度の高い陶土を用い、1200℃以上の高温で焼成することで、固くて丈夫な瓦になっています。
積雪の多い日本海側を中心に敷かれてきました。
白壁の上半分は白の漆喰(しっくい)が塗られています。
吸湿性と防火性を兼ね備えた漆喰で、土蔵の中に置いていた財産を守ろうとしたのです。
一方で白壁の下半分は焼き杉板を付けています。
杉板の表面を焼くことで炭化するため、着火性が低くなり防火機能が高まります。
また、炭化することで防虫効果にもつながり、耐久性も高いのが特徴です。
現在土蔵は飲食店や雑貨店になっています。
こちらは「赤瓦一号館」です。
もともとは大正時代に建てられた醤油の仕込み蔵でした。
中は樽などを保管するためにも、天井が高くなっています。
いまは醤油を造っていませんが、面影が残る蔵で鳥取・倉吉の特産品やちりめん細工などを販売しています。
お土産探しに悩んでいる方は、赤瓦一号館がオススメですよ。
倉吉白壁土蔵群にある元帥酒造
赤瓦一号館よりすこし東に行くと、約170年の歴史ある「赤瓦七号館 元帥(げんすい)酒造」があります。
倉吉は積雪の多い寒冷地であることから、有害な菌を防ぐことができ酒造りに適していました。
そして中国山地から流れる軟水の雪解け水を使うことで、きめ細かいまろやかな味に仕上がります。
ちなみに元帥酒造の「元帥」という酒銘は、かつては「旭正宗」と称していました。
元帥の名になった背景には、当時の海軍大将・東郷平八郎が関わっています。
1907年5月、後に大正天皇となる東宮殿下が平八郎と山陰地方へお越しになりました。
東宮殿下と平八郎が倉吉に宿泊された際に、「旭正宗」が献酒されます。
それから6年後の1913年、平八郎は海軍の最高位・元帥の称号を得ました。
そのときに倉吉へいらっしゃったことに因み、酒銘を「元帥」に変えたそうです。
酒銘は変えても伝統は変わらず、元帥酒造では地元の米と水を使って美味しい地酒を造り続けています。
その地酒の中でも、伝統の技が集結しているのが「大吟醸 斗瓶囲い」です。
吊るした搾り袋から自然に落ちてくる雫を斗瓶に集め、低温熟成させたもの。
すっきりした飲み心地で、和食に限らず幅広い料理に合わせやすいのだとか。
お土産にすれば、家での食事の楽しみ方が広がります。
倉吉の伝統的な町屋 豊田家住宅
元帥酒造から西へ約5分歩くと、「豊田家住宅」に到着します。
倉吉の伝統的な町屋の造りで、2006年に国の登録有形文化財に指定されました。
二階建ての母屋・中庭・二階建ての離れ・坪庭・土蔵で構成されています。
豊田家は江戸中期から呉服屋を営んでいました。
その繁栄は立派な住宅から伺えます。
豊田家の住まいであった離れ。
1階にある障子は、釘を使わずに細く割って加工した木を組んだ「組子」が施されています。
その繊細な職人の技術に見惚れてしまいます。
さらにこの組子は「面取り」がされており、通常の障子と比べて約5倍の手間がかかるそうです。
中庭には太鼓橋が架かり、五重塔が建っています。
豊田家が来るまでは「料亭」として使われていたため、このような情緒ある空間も残されているのだとか。
母屋の2階では毎日歴史講談が開催されています。
500円で倉吉の歴史についての話が聞けます。
知識が広がれば、町歩きもいっそう深く楽しめるはず。
お時間がある方は、ぜひ聞いてみてください。
美しい白壁が並ぶ、倉吉白壁土蔵群はいかがでしたか。
景観を楽しむだけではなく、町の成り立ちや白壁土蔵の特徴を押さえていると、見る視点や感動が変わってきます。
ぜひ風情ある倉吉白壁土蔵群をお楽しみください。