日本発祥の伝説が残る淡路島 国生み神話ゆかりの地と洲本八景を満喫
古事記・日本書紀より日本発祥の地として今に伝わる兵庫県・淡路島。
国生み神話において、イザナギとイザナミが初めてつくったといわれる場所は諸説存在します。
今回はそのうちの一つに挙げられる神聖な場所と、淡路の大自然を堪能できる洲本城を紹介します。
この記事の目次
オノゴロ島で最も神聖な場所 淡路 天の浮橋に降り立った国生み二神
西淡三原インターチェンジから、車で約5分の「天浮橋」(あめのうきはし)を訪れました。
住宅街の片隅にある天浮橋には、古事記・日本書紀の国生み神話に伝わる伝説が残されています。
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、ここ天の浮橋の上に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)で青海原をかきまわしました。
すると、その矛先からしたたり落ちたしずくが凝り固り、やがてできたのがここから約400メートル西に位置する自凝島(おのころじま)です。
二神はこの島に降りたち、淡路島をはじめ四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡そして本州と次々に日本の国土を生んだとされています。
そんな伝説を思い浮かべながら、天浮橋の前に立つと、今ここに立っていることが不思議な気持ちになりました。
天気の良い日は、光が燦々と降り注ぎ特別なパワーを感じる場所です。
天浮橋 所在地:兵庫県南あわじ市榎列
日本発祥の地として親しまれるおのころ島神社 淡路島のルーツを探る
つづいて、天浮橋から徒歩400メートル先にある「おのころ島神社」を訪れました。
大迫力の大鳥居は、京都の平安神宮及び広島の厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つです。
おのころ島神社は、国生みの神イザナギとイザナミが生んだ聖地と伝えられる丘にあり、古くから自凝島(おのころじま)として人々に親しまれてきました。
二神は、この地に降り立って八尋殿(やひろでん)を建て、淡路島をつくったと伝えられています。
そんな神聖なおのころ島神社。
まずは正殿に参拝です。
飾り気のないいたってシンプルな正殿はこじんまりとしていて、なんだか可愛らしいという印象を受けました。
見れば見るほど愛着がわいてきました。
正殿に向かって右手には「鶺鴒石」(せきれいいし)があります。
イザナギとイザナミはこの石の上につがいの鶺鴒が止まり、夫婦の契りを交わしている様子を見て、夫婦の道を開き国生みを行ったといわれています。
そのときの鶺鴒のしぐさは、現在の神前結婚式における三・三・九度に受け継がれています。
とてもロマンチックなお話から、日本文化が生れたのですね。
そのほかに境内には末社の「八百萬神社」や安産の御砂所などがあり、様々なご利益を授かることができます。
豊かな緑に囲まれた境内には、木漏れ日が降り注ぎ、優しい雰囲気を醸し出しています。
国生みの二神が夫婦となった神聖な場所を、是非訪れてみてください。
おのころ島神社 所在地: 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415
淡路洲本八景を満喫!史跡としても名高い「洲本城」天守を目指して
洲本インターチェンジから、車で約35分のところにある「洲本城」(すもとじょう)を訪れました。
洲本城は安宅治興により1581年に三熊山上に開城されました。
元々の天守は脇坂安治が城主のときに築かれましたが、移封先の大洲城へ移築したという説があるそうです。
安治が改修し築いた「登り石垣」は、大変珍しいもので国内では松山城と彦根城、そしてここ洲本城のみに現存しています。
洲本城は江戸時代になり、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に廃城となりました。
天守までは少し坂がつづきますが、石垣を楽しみながら進んでいきます。
中には、石垣の間から大きな木の株が生えているところもあり、強い生命力を感じました。
本丸への大石段を昇ると、模擬天守が見えてきます。
天守は江戸時代のものの復元ではありませんが、日本で最古の模擬天守です。
天守台から見える景色は洲本八景の1つとして、目の前には大浜の景色が広がります。
何も遮るものがなく見晴らしの良い美しい景色から、淡路の大自然をより身近に感じることができました。
洲本城跡 所在地:兵庫県洲本市小路谷1272-2
国生み神話に登場するイザナギとイザナミのゆかりの地をめぐる歴史旅はいかがでしたか。
様々な説があるからこそ、歴史を知る楽しみもより増すのかもしれません。
国生み伝説だけでない、洲本城からの自然に囲まれた淡路の魅力を是非肌で感じてみてください。