淡路島の風物詩 海岸沿いに佇むディープな名所 国生み神話を辿る
数々の国生み神話が今に残る兵庫県・淡路島。
雄大な景色に囲まれた島の中には、至るところに歴史を感じられる名所があります。
今回は、その歴史を見守りつづけてきた島のシンボルと数々の伝説が残る国生み秘話を探りにいきましょう。
この記事の目次
明石海峡を絶えず行き交う船を見守る 明治初期の~江崎灯台~
車で大阪から約60分、神戸から約25分。
淡路インターチェンジから車で海沿いを走ること約10分。
江崎公園のモニュメントが見えてきます。
その奥にある階段を上がり「江崎灯台」を目指します。
灯台への階段には、今も阪神・淡路大震災の爪痕が断層として残っていて、歴史を感じました。
階段を上り切った頂上には「江崎灯台」が静かに佇んでいます。
江崎灯台は日本で8番目の洋式灯台として1871年に初めて点灯しました。
幕府は1867年に英国公使と兵庫開港に備えて大坂約定を結びました。
その際に建設を約束した5つの灯台のうちの最初の1台でした。
設計は英国出身・灯台の父と称されるリチャード・ヘンリー・ブラントンで、石造りの灯台です。
白亜の灯台は、140年以上も雨風にさらされてきたとは思えないほど、堂々と美しい姿でした。
今は灯台の間近まで立ち入ることはできませんが、江崎公園から見れる明石海峡大橋を望む素晴らしい景色に、昔と変わらず行き交う船を見守り続けてきた様子を重ね合わせるととても感慨深かったです。
江崎灯台 所在地:淡路市野島江崎字別富15-1
国づくりで最初に生れたのは実はここ?淡路のパワースポットの絵島へ
続いて訪れたのは、淡路インターチェンジから車で約5分で到着する「絵島」(えしま)です。
古事記・日本書紀に登場する「おのころ島」。
漢字では「自凝島」と書き、「自ずから凝り固まってできた島」という意味があります。
日本の始まりとなったのは淡路島とも言われていますが、その中でもこの絵島がピンポイントで国生みの伝承地ではないかという説が有力になっています。
古事記、日本書紀にある国生み神話によると、イザナギノミコトとイザナミノミコトは、何もなかった海に天の沼矛(ぬぼこ)を下ろし、かき回しました。
その矛を持ち上げたときに、矛から滴り落ちたしずくが島になったという伝説です。
橋を歩いて島に渡ると、初めて目にする珍しい地質に驚きました。
兵庫県の郷土記念物にも指定されているこの褐鉄鉱沈殿砂岩層は、珍しいものでなんと二千万年以上前の砂岩層です。
自然が作り出した美しい島の表情は、とても滑らかで自然のパワーを感じることができました。
また、絵島の頂上には鳥居があります。
神聖な場所で頂上に立ち入ることはできませんが、平清盛が大変可愛がっていたという讃岐国出身の松王丸を祀っているそうです。
平清盛と松王丸が美しさに魅入られたとも伝えられる絵島。
長い長い歴史を肌で感じに、是非訪れてみてください。
絵島 所在地:淡路市岩屋字恵島884-4
淡路最古の石屋神社 国生み神を祀る由緒正しい神聖なる場所を訪ねる
最後に、絵島から車で約1分、徒歩約6分のところにある「石屋神社」(いわやじんじゃ)を訪れました。
創祀年代は不詳とされていますが、平安時代に書かれた「延喜式」に登場し淡路島で最古の神社といわれています。
岩屋海水浴場に面しており、東向きに佇む長屋形式の門守殿から境内へ入ります。
石屋神社では、日本書紀において天地の中に最初に生じたとされる神國常立尊(くにのとこたちのかみ)と、日本で最初の夫婦神といわれる伊弉諾尊(いざなぎのかみ)・ 伊弉冉尊(いざなみのかみ)が祀られています。
別名を「天地大明神」「岩屋明神」「絵島明神」とも呼ばれます。
社殿に向かって左には、「八百萬社」(やおよろずしゃ)があります。
八百萬とは、神道における考えで自然の全てのものに宿る多くの神々のことを指します。
その名の通り、境内は多くの神様に見守られているかのような神聖な空気に包まれていました。
もともとは、現在地より300m北にある三対山(城山)に鎮座していたそうです。
後土御門天皇の御代・大内義興による築城の際に、現在地に遷座され、より身近な存在として町の人々に厚く信仰されてきました。
境内から海の景色を眺めることもできる石屋神社で、歴史の風を感じてみてはいかがでしょうか。
石屋神社 所在地:淡路市岩屋字明神799
国生み伝説が現在に語り継がれる淡路島の海岸沿いをめぐる歴史旅はいかがでしたか。
明石海峡の絶景を楽しみながら、日本の由緒を訪ねることができる淡路島の魅力はまだまだたくさんあります。
歴史的な江崎灯台・国生み伝説の絵島・淡路最古の石屋神社に是非足を運んでみてください。