油津で地元の人々の想いを感じ 油津の歴史に触れる旅に出かけよう
向国(宮崎県)の南端にある油津は、遣唐使の時代から、日本と中国大陸をつなぐ貿易の中継地でした。
江戸時代になると飫肥杉の積出港として油津は活気で溢れかえりました。
今もなお油津では、当時の活気を思い出させてくれるような観光スポットが沢山存在しています。それではご紹介します。
この記事の目次
油津の新たなシンボル「夢見橋」でほっと一息 心を安らぐ旅に行こう
日南海岸の入江の奥に存在する「油津」の町。
江戸時代、飫肥藩の外港として諸国に飫肥杉を積み出し、昭和初期には、東洋一のマグロ基地といわれるほどの水揚げを誇り、水産業の富がこの町に豪壮な町並みを創りだしました。
そんな歴史溢れる「油津」ですが、新たな油津のシンボル「夢見橋」が2007年に誕生しました。
油津駅から徒歩10分ほど歩いた先、夢ひろばの敷地内に存在します。
樹齢120年の飫肥杉と飫肥石を使い、くぎなどの金属を一切使わない伝統工法の「木組み」で造られています。
市民会議での地元住民の意見が元になって作られたそうです。
例えば、日南市の強烈な日を避けるために、 屋根があれば日陰で水上にいられて快適だろう。
この提案を元に、屋根を大きく引き伸ばし、トップライトを与えると同時に、水上部にベンチを設置したそうです。
天井は飫肥杉の特徴である弾力性を生かした「曲げ木」でできているそうです。
綺麗な曲げ木を見ることができますよ。
夢見橋から見える景色です。
綺麗な川と町並みが広がり、心が落ち着きました。
部材をつなぐ込み栓には、地元小学生を中心に四千人の「夢」がメッセージとして書き込まれているそうです。
是非、地元の方の想いが詰まった「夢見橋」で心を落ち着く旅に出かけてみませんか。
夢見橋 所在地:宮崎県日南市園田3丁目
3千万円を堀川に捨てた男達 後世に歴史をつないだ「赤レンガ館」
文化庁の登録有形文化財に指定されている「赤レンガ館」。
1922年に材木商を営む人々の倉庫として建てられ、22万個ものレンガを用いて造られたそうです。
中央通路部分はアーチ型をしており、大正時代の面影をそのまま伝えています。
中に入ると地元の名産品などが並んでいました。お買い物を楽しむことができますよ。
2階には、コワーキングスペースがあり、勉強や会議を行うことができます。
油津赤レンガ館は、大正時代から昭和初期にかけて飫肥杉とマグロ景気で賑わった油津の町並みを象徴する建物です。
しかし、取り壊しの危機にあった油津赤レンガ館を後世に残していくために、地元の有志31人が私費を投じ、「合名会社油津赤レンガ館」を設立し、土地建物を取得したそうです。
後世につなげるために、たくさんの人の想いが詰まっていて感動するばかりでした。
赤レンガ館 所在地:宮崎県日南市油津1丁目9-3
ロマン溢れる「杉村金物本店」に油津の歴史的「堀川運河」を堪能
「赤レンガ館」のすぐ隣には「杉村金物本店」があります。
この建物は、1932年に杉村金物商店(すぎむらかなものしょうてん)が建てた木造3階建の店舗兼用住宅です。
木造3階の建物は1階が店舗、2・3階が住居で、縦長の窓や銅板張りの外壁は洋風の意匠を取り込んだ建物でレトロな雰囲気を漂わせます。
日本建築学会の『日本近代建築総覧』に掲載されているほか、宮崎県建築百景にも選ばれたそうです。
なんとも見応えのある建物で迫力があります。
「杉村金物本店」から徒歩5分ほど歩くと「堀川運河」を見ることができます。
これは、飫肥藩が飫肥杉の運搬を効率的に行うためにつくられた運河です。
1686年に飫肥藩主伊東祐実(すけざね)の命により28カ月の歳月をかけ完成しました。
運河を通すには、かなりの苦労があったようで、当時のエピソードとしては、祐実が「やっていないうちから弱音を吐いては恥ずかしいことだ。何年かかってもやり通せ。」と叱咤激励したそうです。
そして、この堀川運河はロケ地としても有名です。
1992年、堀川運河に架かる堀川橋を舞台に「男はつらいよ寅次郎の青春」が撮影されました。
現在は修復中でしたが、当時の寅さんの笑顔が思い出されます。
杉村金物本店 所在地:宮崎県日南市油津1-6-13
当時にタイムスリップした気分を味わっていただけたでしょうか。
地元の方々が決死の想いで守り抜いたからこそ、今の油津が存在します。
この観光スポット一つ一つには、沢山の人の想いや長い歴史、伝統が息づいています。
是非、油津の魅力を感じる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。