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愛媛県・松山市の遍路と言えばここ!数多くの文化財が残る~石手寺~

  • 四国八十八ヶ所霊場の舞台・愛媛県にある松山市。

     

     

    人と人との心が通い合い、過去と現在を繋ぐ文化財の宝庫「石手寺」で遍路のルーツを知る旅へ出かけませんか。

     

     

    時代を越えても、変わらない想いがそこにあります。

     

     

     

    四国霊場随一 文化財の宝庫!松山石手寺で遍路のルーツに触れる旅

     

     

    道後温泉駅から徒歩で20分、車で5分のところにある「石手寺」(いしてじ)を訪れました。

     

     

    728年、聖武天皇の勅願により建立されました。当時は「安養寺」とされ、813年に「石手寺」となりました。

     

     

    石手寺への徒歩ルートは2つあり、今回はあまり知られていない山間のルートを歩きました。

     

     

    <写真01_山間ルート景色>

     

    マイナスイオンたっぷりの山道を進むと、途中からありとあらゆる種類の地蔵や、如来像などに出会います。

     

     

    今までに感じたことのない、独特な雰囲気のある山道でした。

     

     

    <写真20_山間ルート像>

     

     

    <写真21_山間ルート石像>

     

     

    山頂にそびえ立つ弘法大師像の姿も楽しむことができます。

     

     

    <写真02_弘法大師像>

     

     

    <写真03 _石手寺入口>

     

     

    裏道から行くと、石手寺の裏口に到着しますが、表から境内へ入ってみましょう。

     

     

    <写真04_石手寺二王門>

     

     

    仲見世を進むと、純和風の楼門、国宝である石手寺二王門があります。

     

     

    <写真05_草鞋アップ>

     

     

    左右にある3メートルもの大きな草鞋は、健脚を願って触れる参拝者が後を絶ちません。

     

     

    <写真06_本堂>

     

     

    <写真07_三重塔>

     

     

    中に入ると、重要文化財の本堂、その右に三重塔・鐘楼などが佇み、まさに文化財の宝庫です。

     

     

    圧倒されていると、次から次へと参拝者が境内へ入ってきます。

     

     

     

    生れる命を守る 人々の想いがつまった松山の文化財 訶梨帝母天堂

     

     

    <写真08_訶梨帝母天堂>

     

     

    本堂に向かって、右へ進み三重塔・鐘楼のさらに奥に重要文化財の「訶梨帝母天堂」(かりていもてんどう)があります。

     

     

    <写真09_石>

     

     

    安産祈願所となる訶梨帝母天堂の周りの石を持ち帰り、無事に出産すると石を2つにして返す風習があり、たくさんの人がお礼詣りをした石で山積みになっています。

     

     

    <写真10_山積み石>

     

     

    我が子の成長を切に願い、大切な命をつなごうとするたくさんの妊婦・母となった女性の想いを感じずにいられませんでした。

     

     

    <写真11_大師堂>

     

     

    その他にも、かつて夏目漱石や正岡子規が落書きを残していった「大師堂」などがあります。

     

     

    ひとつひとつをじっくりと見て回ると、長い時の間で幾人ものひとたちが、石手寺を訪れ、手を合わせてきた様子が目に浮かんできました。

     

     

     

    安養寺から石手寺へ 松山に語り継がれる弘法大師と衛門三郎の想い

     

     

    ところで、石手寺にまつわる奥深い逸話を聞くことができました。

     

     

    <写真12_衛門三郎>

     

     

    境内入口にある石像・衛門三郎の家に、その昔一人の僧侶が尋ねました。

     

     

    三郎は僧侶を突き飛ばしてしまい、僧侶の持つ鉄鉢は8つに割れ、そのあと次々と三郎の子どもが死んでしまいました。

     

     

    突き飛ばした僧侶が弘法大師()であったことに気づいた三郎は、その後を追って旅に出ます。

     

     

    <写真13_入口像>

     

     

    四国を何週しても、弘法大師に出会えなかった三郎は、最後に逆回りをします。

     

     

    病に倒れようとしたとき、ようやく弘法大師と出会い、死ぬ前に願いを聞いてやろうと言われた三郎は「来世では人の為に生きたい」とお願いしました。

     

     

    大師は「衛門三郎再来」と書いた石を三郎の左手に握らせ、その翌年に河野息利の家に男の子がうまれました。

     

     

    男の子の左手が開かず、安養寺住職が祈祷すると、「衛門三郎再来」と書かれた小石を握っていたそうです。

     

     

    それが衛門三郎の生まれ変わりであり、現在の「石手寺」と改名されたというお話です。

     

     

    今でも、その小石は寺宝として大切に保管されています。

     

     

    大変興味深い歴史話のあと、数多くの人が訪れる様子を見て、きっと衛門三郎も喜んでいるのではないかと感じました。

     

     

     

    松山・石手寺名物やきもち!衛門三郎の想いを受け継ぐ仲見世商店街

     

     

    <写真14_参道>

     

     

    参拝後は、入口の参道にある仲見世に立ち寄ってみました。

     

     

    <写真15_やきもち暖簾>

     

     

    まずは、石手寺名物のやきもちをいただきました。

     

     

    <写真16_やきもち>

     

     

    柔らかめのお餅の中に、優しい味の餡子が織り交ぜられています。

     

     

    素朴な甘さに、旅の疲れも癒され、ひと休み。

     

     

    2つから購入できます。

     

     

    <写真17_棕梠みがきはけ商品棚>

     

     

    つづいて、こんなお店を発見しました。

     

     

    仏壇のみがきはけを全て手作業で作りつづけるお店「棕梠」(しゅうろ)です。

     

     

    <写真18_作業工程①>

     

     

    この道一筋55年の重村さんにお話を伺いました。

     

     

    <写真19_作業工程②>

     

     

    14ある、みがきはけの作製工程。

     

     

    最終段階の仕上げでは、髪の毛よりも細い天然毛を指で選りすぐっていきます。

     

     

    この作業は、重村さんにしかできない職人技です。

     

     

    仏様を綺麗にする、みがきはけをつくり続けてきた重村さんは

     

     

    「人生お金じゃないよ。人のために働いて、日々努力精進する。紙一重の差で人生は変わる。愛と絆はお金には代えられない。人と人との出会いを大切にしたい。」

     

     

    と話してくださいました。

     

     

    「人のために生きたい」その言葉に、この石手寺には衛門三郎の想いが確かに受け継がれていると感じ、少し目頭が熱くなりました。

     

     

    <写真22_棕梠全景>

     

     

    今回の歴史旅で出会えた人々とのご縁を大切に、またいつか石手寺を訪れたいと思いました。

     

     

    石手寺 所在地:愛媛県松山市石手2丁目9-21

     

     

     

    弘法大師と衛門三郎ゆかりの「石手寺」への歴史旅は満喫していただけましたでしょうか。

     

     

    ここでは紹介しきれなかった奥深い魅力が、まだまだあります!

     

     

    大切に守り、伝えられる変わらぬ想いを、五感で感じてみてくださいね。

     

     

     

     

     

     

     

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