紀州攻めから見る歴史の残る紀の川市へ 紀州攻め戦いの舞台を巡る
日本の歴史上、最も有名な偉人といっても過言ではない豊臣秀吉。そんな豊臣秀吉と和歌山県紀の川市の意外な関わりとは一体!?
紀の川市を舞台に秀吉の紀州攻め ゆかりの地を巡るコアな旅をご提案します。
この記事の目次
あの豊臣秀吉も紀の川市へやってきた!秀吉の紀州攻めとは一体!?
天下統一や大阪城建築で歴史に名を残す豊臣秀吉は、かつての紀州に深い関わりがあることをご存知ですか?
豊臣秀吉と紀州には一体どんな関わりがあるのか紐解きます。
豊臣秀吉が羽柴秀吉を名乗っていた頃、織田信長とともに天下統一を目指す過程で紀州に侵攻した「紀州征伐」。
紀の川市はその紀州征伐で戦いの舞台となった地がです。
多くの寺院や藩は圧倒的な強さを誇る秀吉軍の紀州攻めにより滅んでしまいましたが、中には紀州攻めを逃れ、現存する寺院もあります。
今なお残されている紀州征伐にゆかりのある、知られざる歴史をもつ神社や寺院を訪ねます。
紀州攻めの舞台の1つ、神秘的な雰囲気に包まれる風市森神社へと
JR和歌山線粉河駅と紀伊長田駅の中間で両駅から車で約15分ほどのところにあるのが、ひっそり佇む「風市森神社」(かぜいちもりじんじゃ)です。
風市森神社は豊臣秀吉の紀州攻めを受けた神社の一つで、攻撃により社殿や古文書、宝物など神社に関するものは焼失してしまっており不詳な部分が多いですがそんな経緯もこの風市森神社の神秘的な魅力の一つではないでしょうか?
風市森神社の御祭神は級長戸辺命(しなとべのみこと)で、風の神様として信仰されています。
風市森神社という社名もこの級長戸辺命に由来したものとされています。
かつては粉河寺に訪れる武将たちが立ち寄ったとされ、今も昔も多くの人々に愛されている神社です。
風市森神社 所在地:和歌山県紀の川市嶋368
豊臣秀吉 徳川頼宣もゆかりの地 今なお人々に愛される長田観音
風市森神社から再びJR紀伊長田駅に戻り、駅から北に向かって歩くこと徒歩約5分。
次の目的地、長田観音(ながたかんのん)に到着します。
本来の寺院名は如意山厄除観音寺ですが、旧長田庄にあったことから現在、長田観音として地元の人から愛されています。
お正月やその年の豊作や無病息災を願う初午や二ノ午の日は多くの参拝者で賑わいます。
寺院周辺は畑が広がり、普段は静かな空間で、なんとも神秘的な雰囲気が漂っているこの長田観音も、かつては紀州攻めの戦いとなった場所の一つです。
紀州攻めによって境内のほとんどか焼失したものの本尊の如意輪観音は焼失を免れました。
そして現在の本堂を建てなおしたのは徳川頼宣となんとも歴史ある観音様が祀られています。
そんな偉人たちとの接点を持つ観音様が祀られている長田観音にみなさんも訪れてみてはいかがですか?
長田観音 所在地:和歌山県紀の川市別所58
紀州攻めの舞台となった紀の川市の歴史深い神社いかがでしたか?
この2つの神社のほかにも秀吉の紀州攻めから逃れ、今なお残る場所は紀の川市には多くあります。
歴史の教科書にはあまり載らない秀吉の紀州攻めゆかりの地を旅してみてはいかがですか?