明治時代最も影響を与えた人物 飫肥藩出身の小村寿太郎の人生とは
宮崎県の日向国飫肥藩(現在の宮崎県日南市)といえば、日本の有名な外交官「小村寿太郎」の出身地です。
今回は、小村寿太郎が生まれた町、育った町を存分に楽しめるゆかりの地を紹介します。
日本にどのように影響を与えていったのか、飫肥を訪れれば、その全てがきっと見えてきます。
この記事の目次
ポーツマス条約で有名な外交官「小村寿太郎」が生まれた飫肥の生誕地
飫肥駅から徒歩約10分で大手門通手前通りの一番手前にある「小村寿太郎生誕之地」に到着します。
1855年にこの記念碑がある場所に、日向国飫肥藩の下級藩士であった小村寛平と梅子の長男として生まれました。
明治時代、小村の父は飫肥商社の社長に就任しましたが、その経営を巡る裁判によって小村家は破産しました。
その後、山本猪平に売却されましたが、1933年に山本家が土地を寄付し、現在の「小村寿太郎生誕之地」と刻まれた石碑が建てられました。
碑面は日本海海戦指揮官の東郷平八郎の書が書かれています。
裏面には小村の親友である杉浦重剛の詩が刻まれています。
内容は、ポーツマス条約の仕上げとして清国との交渉に向かう小村に対して、小村の人柄を賞賛するとともに、激励と日本人の期待を託したものだそうです。
実際に足を運んでみると、思っていたよりも敷地面積が広く、石碑の周りをぐるっと一周まわることができました。
石碑の奥には、立派な桜の木が花を咲かせており、とても綺麗でした。
石碑の右手前には、この生誕地の当時の図面が書かれたものが建っていました。
小村がどのような家で過ごしてきたのかが分かります。
本家(生家)、土藏、二階付きの納屋、平屋(隠居)、厩屋などの建物が現存していたそうです。
歴史に名を遺した小村寿太郎が生まれた場所にが残っているという状況、そして今ここにいる事実にとても不思議な気持ちでいっぱいでした。
何年も前にタイムスリップして小村寿太郎に会ってみたかった。
日本の未来を一緒に考えてみたかったとこんな気持ちにさせてくれました。
小村寿太郎生誕之地 所在地:宮崎県日南市楠原
飫肥で生まれた小村寿太郎の人生に迫る 「小村記念館」で歴史を学ぶ
小村寿太郎生誕乃地を出て、大手門通りを約3分まっすぐ進むと「国際交流センター小村記念館」に到着します。
小村寿太郎は明治時代に二度の害右大臣を務め、1905年にポーツマス条約を調印し、日露戦争を終結に導きました。
国際交流センター小村記念館は、小村の遺徳を顕彰して没後80年を経て1993年に開館しました。
中に入ると、さっそく小村の像が建っており気持ちが高まりました。
背が低くて有名な小村の等身大パネルがあったり、小村の生い立ちから外交官に至るまでの歴史や、小村に影響を与えた人々について学べます。
小村は1854年、日米和親条約に調印、開港後の翌年に生まれ、気性の厳しい反面、愛情で包み込む祖母が一番面倒をみながら育ったそうです。
幼少期は、飫肥藩の藩校で1801年に学問所として開設された「振徳堂」に通い14歳の時に優秀な成績で卒業しました。
この振徳堂で人生の先達「小倉処平」に出会ったことが、後の小村の人生に大きな影響を与えました。
長崎留学を進めたり、今の東京大学(当時の大学南校)に更進生として入学させたそうです。
その後1875年に文部省第一回留学生としてハーバード大学に入学しました。
この写真はその時の、留学生の写真です。
ハーバード大学時代の手紙や写真も沢山見ることができます。
留学後には司法省に出仕し、翌年には結婚し、家庭的にも充実した日々を送りました。
そして、4年後には能力をかわれて外務省に転籍しました。
しかし、外交官として表舞台に立つのはまだまだ先で、父の事業の失敗で膨大な負担を背負い込んだそうです。
そんな小村の人生に影響を与えたのが、当時外務大臣だった「陸奥宗光」の存在です。
外務省であった小村を一躍し、駐清日本公使館参事官に抜擢しました。
これ以降、小村は外交官に歩むこととなりました。
その後、ポーツマス条約を調印し、日本で有名な歴史人物の一人として世に知られることとなりました。
これは実際の調印室を復元したものです。
当時の席の配置やテーブルも再現されており、当時の様子を間近で見ているような気分になります。
遺品コーナーもあり、小村が着用していたものを見て楽しむことができますよ。
そしてこの記念館には、飫肥城下町保存会の人達に、飫肥や小村の歴史についてお話をお伺いすることもできますよ。
温かく迎えて下さり、飫肥の歴史や文化について熱いお話しを聞くことができました。
是非、この記念館で飫肥や小村の歴史を学び、日本の歴史を身近に感じてみてはいかがでしょうか。
小村記念館 所在地:宮崎県日南市飫肥4-2−20 1
歴史に名を刻んだ「小村寿太郎」 飫肥で育った小村の生家を堪能
「国際交流センター小村記念館」を出て、すぐ右に曲がると武家屋敷通りがあります。
武家屋敷通りを約2分進むと、左側に揺るやかな階段が見えてきます。
この階段を昇ると「小村寿太郎生家」にたどり着きます。
小村寿太郎はさきほど訪れた「生誕乃地」で生まれた後、小村家が破産したため、明治時代後期に、生家は振徳堂裏に移築され、さらに1921年に現在地に移築されたものです。
老朽化の進んでいた成果を市が改修し、2004年から公開しているそうです。
旅したのが2月だったからか、そんな小村の生家には、綺麗なお雛様が沢山飾られていました。
中に入ることはできませんが、外からでも充分楽しむことができます。
中には可愛らしいおばあちゃんがいて、会話を楽しみました。
普通の日本家屋ではありますが、当時を思えば、立派な建物であったと思います。
日本外交で功績を遺した小村寿太郎の生家なので、歴史的価値も高く、訪れる観光客を魅了するそうです。
小村寿太郎生家 所在地:宮崎県日南市飫肥4-5
小村寿太郎ゆかりの地巡りはいかがでしたでしょうか。
飫肥には小村に関する建物が数多くあり、歴史を伺い知れます。
この飫肥で生まれ育ち、世界中で活躍する人へと成長し、日本に大きな影響を与えた小村の人生を、当時を思いながら巡ってみませんか。