飫肥に訪れる観光客が圧倒される「大手門」ここから始まる歴史を堪能
宮崎県日南市にある飫肥城下町のメイン通り「大手門通り」にたたずむこの町のシンボルマーク「大手門」
「大手門」といえば「飫肥城跡」の始まりです。
今回は、飫肥城下町の一番の観光スポット「飫肥城」の中で歴史を堪能できる旅をご紹介します。
まさにタイムスリップしたかのような気分が味わえますよ。
この記事の目次
飫肥城を巡る103年間の戦い 「大手門」から感じる飫肥城の歴史
飫肥城観光駐車場にある案内処からまっすぐ進むと、突き当たりに道があります。
この道が「大手門通り」と呼ばれる通りで飫肥最大の歴史通りです。
大手門から酒谷川まで続いているそうです。
昔は、石段だったそうですが、車を通すために整備され、現在は地下に埋まっています。
飫肥城観光駐車場から突き当たりの道を左に曲がると迫力ある「飫肥城大手門(おびじょうおおてもん)」が姿を現しました。
飫肥城の始まりは南北朝時代にまでさかのぼります。
土持氏が築城したのが始まりで、その後は、島津氏と伊東氏の飫肥侵攻が103年間に渡り断続的に続けられたそうです。
最終的には伊東氏が180年間、14代にわたって飫肥藩を治めました。
伊東氏・島津氏という2つの勢力が一貫して1津の城を巡って争い続けた例は、日本の戦史において珍しい例だそうです。
その後、飫肥城は1662年の大震災をはじめ、3度の地震に襲われました。
大規模改修を余儀なくされ、1873年には飫肥城内の建物全てが取り壊されることとなりました。
しかし、1978年に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元され、今でもなお、飫肥杉の香りや静かな風景から当時の姿を感じることができます。
大手門は、木造渡櫓(とろ)本瓦葺き(ふき)の重厚な造りの江戸時代の櫓門です。
大手門前の前には、飫肥城の立派な石碑が立っていました。
上に刻まれているものは伊東家の家紋だそうです。
大手門の堀にかかる橋からは、空堀跡を見ることができます。
城側の土塁も高く積み上げられており、当時の戦いの様子を感じることができました。
風情ある石段・石垣・城壁の先に待つ 幸せのスポット「しあわせ杉」
大手門をくぐり、内側から大手門を見てみると、やはり迫力がありました。
今にでも、戦国武将が出てきそうな立派なたたずまいに、タイムスリップした気分です。
大手門をくぐった先には城内へと続く長い石段がありました。
石段の周りには、石段を囲むように鉄砲狭間付きの土堀を見ることができます。
裏から見てみると、築地城を支える控柱となっており、戦時には板をはずして、堀上から敵を攻撃するのに使われていたことが分かります。昔の人の知恵が詰まっていますよね。
階段を昇った先には、長大な石垣があり、当時の風景が思い浮かびます。
さらに左へ進むと、奥へと続く登城路がありました。
城壁は今でもしっかりと残っており、長年の歴史を身に染みて感じることができました。
段差の低い石段を上がっていくと「しあわせ杉」といったパワースポットにたどり着きました。
4つの角にある4本の杉の対角線の中心に立つと幸せのパワーがもらえるというものだそうです。
実際に中心にたって空を見上げると4本の杉が全て視野に入ってきました。
幸せパワーを沢山もらえているような気持ちになりました。
飫肥藩ゆかりの歴史的資料が目の前で見れる場所 当時の様子を知る
しあわせ杉のすぐ隣にあるのは「飫肥城歴史資料館」です。
しあわせ杉のすぐ隣の階段を昇ると見えてきます。白壁の美しい建物です。
外観は江戸時代初期の書院造りで、玄関は唐破風様式になっています。
藤原氏南家の子孫で800年続いた由緒ある家柄の伊東家。
この長い歴史の中で飫肥藩伊東家や家臣達に伝えられてきた、甲冑(よろい)・刀剣・武具・古文書・衣服など飫肥藩ゆかりの歴史資料が約220点展示され、保管されています。
その他にも飫肥の歴史を学ぶことができます。
資料館内の写真です。なんとも見応えがありますよね。
これは打掛や小袖、薬を入れるために使っていたといわれる印籠(いんろう)などです。
そして何より、甲冑の迫力には圧倒されました。今にも迫ってきそうな勢いです。
飫肥城歴史資料館では、当時のものを間近に見ることができるので、とても刺激を受け歴史を身近に感じることができますよ。
これらは全て、宮崎県日南市の飫肥城跡内に存在しています。
有名な「大手門」に足を運び、当時の歴史に触れ、戦国大名が戦い抜いたこの町を巡ってみてはいかがでしょうか。
きっと飫肥の歴史が見えてきます。
「大手門」に迫力を感じ、是非しあわせ杉で沢山の幸せのパワーをもらってくださいね。