古都奈良の中心 平城宮跡に行くなら絶対知っておきたい見どころ
約1300年前の710年、唐の都長安を手本に造営された平城京は、今もなお古都奈良を感じる空間として多くの人々が訪れます。そして復元された朱雀門や出土品を間近で見られる平城宮跡資料館に加えて、2018年3月新しく朱雀門ひろばが開園しさらなる注目が集まる平城宮跡。今回はその平城宮跡の魅力に迫ります。
古都奈良の中枢機能を担った平城宮 その入口に建つ壮麗な朱雀門
元明天皇は710年に藤原京から約15㎞離れた平城京へと都を遷します。
なぜ平城京へと遷都したのかは定かではありませんが、本格的に律令国家を築くのにふさわしい都を求めたため言われています。
当時もっとも進んでいた唐の都に倣って造営され、碁盤の目を思わせる整然とした印象を受けます。
平城京の北側中央には天皇の住まいや官公庁が集約された平城宮が置かれました。平城京南側中央の羅生門から平城宮までを約74mもの幅を持つ朱雀大路が通ります。朱雀大路を隔てて大きく都は二分され、平城宮から向かって左は左京、右は右京と呼ばれました。
左京・右京それぞれ市場も開かれていたそうで、華やかな都の姿が思い浮かびます。現在は往時の姿を伝える建造物が残されていませんが、平城宮跡には平城京の歴史を感じる様々な施設があります。
平城宮への入り口となる「朱雀門」。まぶしいくらいの壮大さに驚きます。現在のものは1998年に復元されたもので、発掘調査などで出土したものを模しながら再現されています。当時平城宮の周囲は高さ6mの築地塀(ついじべい)で囲まれ12の門がありましたが、朱雀門は間口25m、奥行き10m、高さ22m、二重の屋根と、他の門よりもかなり立派に作られていたそうです。
見渡してみると、遠くに第一次大極殿(だいごくでん)が見え、あらためて平城宮の広さに気づきます。
こちらは朱雀門のすぐ近くにある銅像。台には「棚田嘉十郎」と記されています。棚田嘉十郎、御存じない方も多いのではないでしょうか。棚田は1896年に知人に連れられて平城宮を訪れた際に、荒れた平城宮跡を見て涙を流したといいます。まさに尊王攘夷が激しかった時代。
棚田も皇室を大切に思っていたことから、平城宮跡の保護することを訴え続けました。その保護への道はかなりの困難が待ち受けていたそうです。いまこのように私たちが美しい平城宮の姿を見ることができるのは、そのような険しい道を超えてきた人がいると思うと感慨深いものがありますね。
二度の奈良 平城京遷都の歴史を伝える 復元された平城宮大極殿
平城宮は約2500ヘクタールの広さを誇る平城京の中心でした。宮中には大極殿や朝堂院(ちょうどういん)、内裏、役所などが並び、国政を取り仕切る場所でもありました。現在平城宮の復元が進んでおり、第一次大極殿をはじめ朱雀門や東院庭園などが当時の姿を取り戻しつつあります。
こちらは第一次大極殿です。大極殿とは古代の宮都における中心施設であり、国家儀式の際に天皇が出られる場所です。平城宮には710年に都となってから恭仁京へ一時遷るまで存在した第一次大極殿と、その後再び平城京に都がもどった際に新設された第二次大極殿の2つの大極殿がありました。遺跡の調査も慎重に行いながらの復元事業はかなり時間のかかるものだそうで、いま第二次大極殿は基壇のみの復元となっています。
第一次大極殿の中に入ると、中央に「高御座(たかみくら)」と呼ばれる天皇がお座りになる場所が設けられています。当時の様子を伝える書物などが乏しかったため、京都御所を参考に再現されました。特徴的な八角形の造りに天井を彩る絵、細やかな装飾。奈良時代はまだ天皇が政治を執り行っていた時代であったことがわかりますね。”
公式HP : 平城京跡
平城京の中心としての姿を残す平城宮跡。
入口の壮麗な朱雀門をくぐると、そこはもう1300年の時を超えて広がる天平文化が花開く古都奈良の世界です。
朱雀門ひろばにはカフェやレストラン、そして展望デッキもあるのでゆっくりと古都奈良の中心地を満喫することができますよ。