坂本龍馬とお龍の新しいスタートである場所を巡る旅~結婚式場跡~
京都駅から山科駅に向かい、京都市営東西線に乗り換えると約7分で東山駅に着きます。
そこから徒歩10分ほどで見えてくる「坂本龍馬とお龍の結婚式場跡」。
その周辺の白川橋も見に行ってみてください。
落ち着いた雰囲気のこの場所で、龍馬とお龍は契りを結びました。
この記事の目次
坂本龍馬とお龍も三条の街並みを散策デートをしたかも~三条白川橋~
東山三条通りを10分ほど歩いていくと、白川の橋が見えてきます。
静かで緑豊かな道を歩いていると、心が落ち着くような気持ちになりました。
白川は、京都と滋賀を結ぶ山越え道「山中道」辺りを源流とし、最後には、祇園白川となって鴨川に注がれます。
川の両端には、ヤナギの並木が続いていて、京都の上品な風情を感じました。
川に沿って歩いて行くと、石で造られた幅の狭い橋が見えてきます。
「唐戸鼻橋」(からとはなばし)と呼ばれる橋です。
他にも、広い幅の橋もありました。
訪れた際は、その橋を使って写真撮影をすると、良い雰囲気の写真が撮れる思います。
もう少し進んで行くと、木製のデッキもあり、そこで一息するのも良いかもしれませんね。
この辺りを坂本龍馬が生きていた時も、お龍とともに散歩をしたのかもと思うと、とてもロマンティックな散策コースですよね。
今の残る坂本龍馬とお龍の結婚式場跡~青蓮院旧境内・塔頭金蔵寺跡~
白川橋から30メートルほど東に行くと、坂本龍馬とその妻お龍の「結婚式場跡」の石碑があります。
ここは、2011年までは、東山ユースホステルがありましたが40年の歴史を閉じ、現在はマンションが建っています。
この場所は、青蓮院の旧境内・塔頭金蔵寺跡と書かれていました。
1864年8月初旬に、坂本龍馬と妻お龍は「内祝言」、すなわち内々の結婚式を挙げました。
金蔵寺で結婚式を挙げた理由としては、お龍の父は、青蓮院宮に仕えた医師だったからです。
その関係もあり、金蔵寺の住職・智息院が仲人を務めたそうです。
歴史上の人物の結婚式場跡が、現在も残っているのに感動しました。
それほど偉大な2人だったのだろうなと思います。
これから先も残り続け、坂本龍馬とお龍の結婚式が語り継がれていくことを願いたくなりました。
石碑には、1866年1月の寺田屋遭難の後、西郷隆盛あるいは、中岡慎太郎の媒酌で2人は契りを結んだと書かれていました。
しかし、この話は根拠が薄いそうで、お龍の話こそが信用出来る事実だそうです。
龍馬の相棒である中岡慎太郎のゆかりの地巡り~中岡慎太郎寓居跡~
坂本龍馬とお龍の仲を取り持ったかもしれないと伝えられているのが龍馬の相棒でもある中岡慎太郎です。
龍馬とお龍の結婚式場跡を河原町の方向に進んで行き、三条大橋を渡り、河原町通りを歩いて行くと、中岡慎太郎寓居跡に辿り着きます。
結婚式場跡からは徒歩15分ほどで到着します。
現在も多くの人が通る河原町に、中岡慎太郎の寓居跡があるので、もっとたくさんの方に知ってほしいと思いました。
今まで気づかずに通り過ぎていた場所も実は、歴史ある場所であることを発見できて京都という街が更に好きになりました。
現在は、抹茶のお店のすぐ入り口に石碑が立っています。
中岡慎太郎は、龍馬と同じ土佐出身の志士で、庄屋の長男として生まれました。
土佐藩の武市瑞山に剣術や学問を学んだそうです。
坂本龍馬も中岡慎太郎も土佐勤王党・四天王の一人だと言われています。
京都にやって来ると、「中岡慎太郎寓居跡」のある河原町通りに面した本屋「菊屋」に身を寄せたのでした。
この菊屋は、土佐藩御用達の本屋だったそうです。
現在は、人がたくさん集まる京都のメインストリートである河原町通りに、ひっそりと建つ石碑を、是非見つけてみてください。
坂本龍馬とお龍の結婚式場跡・中岡慎太郎寓居跡の石碑はどちらもこんなところにあったのか!と思う場所に立っています。
たまには、電車を使わずに三条白川から河原町周辺を歩いて移動しながら、石碑探しをするのも楽しいと思いので是非、歴史の跡を発見してみてください。