兵庫 篠山藩主青山家とデカンショ節 青山歴史村でつながる日本遺産
教育に力を入れた篠山藩主青山家と日本遺産に認定された篠山市の民謡「デカンショ節」。
今なお篠山の人々によって語り継がれて唄は増え続け、なんと今では300を超えるそうです。
今回は兵庫県篠山市を代表する文化施設「青山歴史村」で、デカンショ節をはじめとする篠山の歴史文化を体験します。
篠山藩主青山家が教育への熱い思いを宿した版木 「青山歴史村」
JR大阪駅から特急こうのとりに乗って約1時間22分、JR篠山口駅に着きます。
飛行機をご利用の場合は、関西国際空港から特急はるかでJR新大阪駅まで出て特急こうのとりにお乗り換えが便利です。
JR篠山口駅から、篠山営業所行きのバスに乗り二階町で下車後、歩くこと約5分。
立派な長屋門が出迎えてくれました。「青山歴史村」(あおやまれきしむら)を訪ねます。
青山歴史村は篠山藩主青山家の明治時代の別邸(桂園舎)を中心として、土蔵、長屋門の3棟から成り立っています。
中には、藩政文書とともに、青山家ゆかりの品々や篠山藩校「振徳堂」の蔵書などが所蔵されています。
江戸時代の歴史文化を物語る史料の数々が展示されている、歴史好きにはたまらない場所です。
こちらは全国的にも珍しい漢学書関係の版木です。
当時篠山藩では教育に力を入れており、版木で数多くの漢学書を印刷し刊行していました。桜の板でつくられた版木が、ここ青山歴史村には約1200枚所蔵されています。
現在でも、地域の方々のおかげにより当時のまま保管されています。
当時の藩校は藩士の子弟を教育するための機関でしたが、青山家の考えのもと篠山藩では藩士に限らず庶民の入学も受け入れていました。
その教育への熱い思いが江戸から明治へと時代を超えて受け継がれ、鳳鳴義塾や尚志館の創設へとつながっていきます。
展示物を見ていると、学問に勤しむ子供たちの姿が思い浮かびました。
時代を超え 篠山の歴史文化を唄にのせる 日本遺産「デカンショ節」
続いて向かうのは青山歴史村内に2016年4月にオープンした「丹波篠山デカンショ館」です。
こちらでは「丹波篠山 デカンショ節-民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」 というタイトルのもと、日本遺産に登録された「デカンショ節」を中心に篠山の魅力を映像や展示品を通して体感できます。
デカンショ節は江戸時代から唄われていた篠山地方の「みつ節」が変化したものであると言い伝えられています。
みつ節は盆踊り唄で、一年中続く厳しい農作業や労働に明け暮れた人々にとって、かけがえのない楽しみであり、夜明けまで歌と踊りが途切れることはなかったといいます。
そして「どっこいしょ」や「出稼ぎしよう」がなまったものなど様々な説がありますが、「デカンショ節」が誕生しました。
では、どのようにして全国へと広まっていったのでしょうか。
それは、先ほどの青山家が関係しているとされています。
教育に力を入れていた青山家は、藩内にとどまらず優秀な学生を東京へ送り、より高い教育を受けさせました。
その際に東京へ行った学生たちがデカンショ節を踊って広まっていったのです。
そして今でも歌が加えられていき、なんと300番にも上るデカンショ節。
そんなデカンショ節には篠山の人々の生活や文化、伝統など、篠山に根付いた歴史が歌にこめられています。
一度耳にすれば、その独特なリズムに心奪われます。
館内にはARを活用したデカンショ踊りが体験できるスペースもあります。
目で見て、耳で聞いて、そして身体で日本遺産デカンショ節を感じましょう!
所在地:兵庫県篠山市北新町48
公式HP:「青山歴史村」http://www.withsasayama.jp/REKIBUN/aoyama_top.htm
藩内で広く教育を進めて後世へとつなげた青山家、そして江戸から今なお語り継ぐデカンショ節。
この二つが結びつき、全国へとデカンショ節が広がっていきました。
ぜひ一度、歴史と文化のつながりを感じる旅へ出かけてみてはいかがですか。