幕末維新のことがまるわかり霊山歴史館で坂本龍馬の貴重な品を巡る旅
市バス「清水道」下車徒歩7分で着く、霊山歴史館は、幕末維新の総合歴史博物館として1970年に開館した日本唯一の幕末維新ミュージアムです。
収蔵資料は5000点を超え、常設展、特別展では約100点もの資料が展示されています。
京都・東山の霊山地域には明治新政府の太政官布告を受けて坂本龍馬ら志士たちの墓がつくられ、一帯は「維新の道」史跡公園として親しまれています。
この記事の目次
あの坂本龍馬を斬った刀が見れる!持ち主は京都見廻組の桂早之助!
霊山歴史館ではなんと坂本龍馬暗殺で使われた刀を見ることが出来ます。
刀身1尺3寸9分(42,1センチ)の越後守包貞で、持ち主の桂早之助は、京都の醤油商・近江屋の2階に突入した一人です。
あらかじめ天井の低い室内での戦闘を予想し、小太刀の名手が起用されたのです。
刀身には無数の傷があり、龍馬と斬り結んだ際の壮絶な様子が伝わってきました。
刀は後年、桂家から霊山歴史館に寄贈されたものです。
では、この桂早之助とはどのような人物だったのでしょうか。
刀と一緒に展示されている早之助の由緒書並親類書には、将軍入洛に際して催された講武所と所司代の剣術試合で優秀な成績をおさめ白銀5枚(褒美)を賜ったとあります。
しかし、早之助は、龍馬暗殺のわずか1ヶ月後の「鳥羽伏見の戦い」で戦死してしまいます。そのため、同時に近江屋の2階に突入した見廻組の今井信郎や渡辺篤のように龍馬暗殺を語ることが出来ず、現在でもあまり知られていないのです。
龍馬が隠れたであろう材木部屋の写真が展示してあります。さすがの龍馬も息を止めて身を潜めていたのではないでしょうか。
母親のように厳しく訓育した龍馬の姉 乙女へ捧げた龍馬の長い手紙
龍馬の母親は、龍馬が12歳の時に亡くなってしまう。
悲しみにくれていた龍馬を母親代わりとして育てたのが、姉の乙女でした。
乙女は、龍馬に剣術や読書を叩き込み、一人前の男に育てたのです。
1866年12月4日、龍馬は長崎の豪商・小曾根英四郎の別邸で長文の手紙を乙女宛に書きました。
その手紙の復元が展示されています。
手紙の内容は、お龍が妻になったこと、新婚旅行に行ったこと、長州で戦争に参加したことなどの報告でした。
その他に、お龍に命を助けられたことや、親から付けられた名前は龍であるが紛らわしいので、鞆と改名させたことも書いてあったそうです。
大好きな姉に、お龍のことを妻だと認めてほしいという龍馬の気持ちがいじらしくも感じます。
さらに、この手紙では「天下の世話は実に大雑把なもので、命さえ捨てる覚悟があればとても面白いことである」と大きく成長した姿をアピールしています。
この手紙からも分かるように、龍馬にとって乙女の存在は大きかったのでしょうね。
歴史好きの方必見!幕末ミュージアム限定の貴重な展示品が沢山!
霊山歴史館内の幕末ミュージアムに入ってすぐ目に入るのが特殊造型坂本龍馬像です。
血管が浮き出て体毛の生えた腕のリアリティーには皆さんも驚くことでしょう。
172センチという等身大サイズの龍馬像は、顔の日焼け跡や体毛や血管なども再現された巧妙なものです。
生誕170年記念作品として2005年に作られた初めての龍馬座像や、坂本龍馬・中岡慎太郎最期の時、近江屋の当時の姿を復元した模型も展示されています。
2階の奥の八畳間から、刀を受け止める龍馬、龍馬に斬りかかる桂早之助、短刀で身構える中岡慎太郎、ふすまに手をかける高橋保次郎、脇構えで部屋入ろうとする渡辺吉太郎、指揮とる佐々木只三郎。
近江屋の家族を見張る土肥仲蔵、階段下で斬られた藤吉、入口に見張役の桜井大三郎、外の見張役に今井信郎と忠実に再現された近江屋の模型に見入ってしまうこと間違いなしです。
京都・東山に訪れたら必ず立ち寄ってほしいのが霊山歴史館です。
坂本龍馬や新選組のここでしか見ることの出来ない貴重な展示品を、ゆっくりと見学してみてください。
霊山歴史館の周辺には、龍馬が眠る京都霊山護国神社や、維新の道、円山公園といった歴史的名所が沢山あるので是非そちらにも足を運んでみてください。