国の三重指定 1万人が住んだ城下町「一乗谷朝倉氏遺跡」を満喫
福井県の一乗谷にある一乗谷朝倉氏遺跡は国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)に指定されており、歴史溢れる貴重な名所です。
山で囲まれた自然いっぱいのこの地には、かつて、大阪・京都の次に栄えていた城下町がありました。
今回は、そんな城下町、福井県の一乗谷にある「一乗谷朝倉氏遺跡」の歴史旅を紹介します。
この記事の目次
着いた先は戦国時代 一乗谷の「唐門」でタイムスリップしませんか
福井駅から車で約20分で「一乗谷朝倉氏遺跡」に到着します。
そこには広大な敷地が広がっており、平成ではない戦国時代の景色で、時間が止まったような気分になりました。
まさに、戦国時代にタイムスリップしたかのような気分になります。
1962年に発掘調査が始まり、当時のほぼ完全な町並みと多数の貴重な歴史的遺品が発見されました。
館跡が焼き討ち跡そのままに丸ごと出てきたそうで、この時代の館跡が出てくるのは本当に珍しいことだそうです。
この城下町は103年間にわたり越前を支配した朝倉氏が織田信長の軍勢によって攻め滅ぼされるまで華やかな文化を咲かせた都の跡です。
復原町並を散策した後に、必ず通るのが「唐門」(からもん)です。
唐門とは唐破風造り屋根の門のことで一乗谷朝倉氏遺跡のシンボルです。
唐門の下には、何匹か鯉が泳いでおり、どこか懐かしい気持ちになりました。
義景館跡の入口に建つ立派な唐門はとても立派で風情があり、見ていて感動しました。
春になると、すぐ隣にある桜の花とのコラボレーションを見に観光客が賑わうそうです。
唐門をスタートに、史跡を堪能してみませんか。
一乗谷に城下町を創り上げた朝倉氏 そんな朝倉氏当主が住んだ館とは
唐門を通り抜けると、そこには朝倉家当主がかつて住んでいた館の跡「朝倉館跡」が広がっていました。
それは今まで見たことのない風景でした。
なにもない空っぽの地。
素朴な景色に、なんだか悲しい気持ちになりました。
戦国時代を生き抜いた人々は、どんな想いで戦っていたのだろう。
1万人もの人口で栄えていたこの場所は、どんな街だったんだろう。
戦国の時代を見てみたい。
なにもなくなってしまった空っぽのこの場所で繰り広げられた歴史を見てみたい。
不思議とこんな感情が沸き上がりました。
「朝倉館跡」は、遺跡の中心的存在で朝倉氏の当主が住み、政治や行事など、さまざまなものごとを行っていました。
三方は土塁と濠で囲まれ、それらをふくめた敷地面積は、なんと10,628平方メートルあるそうです。
また、朝倉館跡の他にも館跡庭園を見ることができました。
庭園の手前にある石で囲まれた場所は、当時の花壇跡で、現存する日本唯一で最古のものであることが確かめられています。
一度、朝倉氏が住んだ館で当時の暮らしに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
一乗谷最後の当主「朝倉義景」を知り 湯殿跡庭園で昔を味わおう
朝倉館跡のすぐ隣には、朝倉氏最後の当主「朝倉義景」の墓所がありました。
1573年に一族の景鏡の裏切りにより、大野市で自害した義景。
大野市にも墓所はありますが、この墓は1576年に村民の建てた小さな社が始まりで、1663年に福井藩主松平光通によって立てられたそうです。
山のほうに昇っていくと「特別名勝」に指定された4つの庭園があります。
そのうちの一つが「湯殿跡庭園」(ゆどのあとていえん)です。
現存する朝倉氏遺跡の4つの庭園の中で最古の庭園と言われれており、迫力ある美しい庭園を見ることができました。
室町文化の影響を色濃く残す庭園美のひとつ、「名庭園」として歴史的に高く評価されているそうです。
一乗谷朝倉氏遺跡には他にもたくさんの名所があり、歴史に触れ、考え、感じることができます。
遺跡のすぐ近くには「一乗谷朝倉氏遺跡資料館」もあり、当時の様子を簡単に学ぶことができます。
是非、一乗谷で、戦国時代の歴史を直接感じてみませんか。
「一乗谷朝倉氏遺跡」にはこのほかにも見るべき価値のあるものが沢山あります。
昔の遺跡がそのまま残り、時間が止まったかのような気持ちになる。
ここでは、教科書では味わえない歴史の楽しさ、面白さを感じることができます。
あなたの歴史に対する想いはもっと深くなることと思います。
一度足を運んでみてはいかがですか。