人気旅名所の養老 養老電鉄に乗ってたどり着く玄関口は歴史ある養老駅
大阪から米原、大垣にて電車を乗り継ぎ3時間半。
養老の滝や天命反転地で有名な岐阜県養老町。
養老にはさまざまな歴史や観光名所がありますが、そこに向かう道中の養老鉄道にも歴史があります。
そうです、歴史旅はもう始まっているのです。
この記事の目次
100年を超える線路を進む養老電鉄に揺られながら車窓を楽しむ
近鉄養老線として池野から養老までの区間を1913年に開通されました。
当初は黒い煙を吐きながら蒸気機関車に客人を乗せて養老へ観光客を招いていたようです。
貨物輸送の廃止などを理由に近鉄は撤退しようとしましたが、通学路として利用している人達から反対の声が上がり、2007年に近畿日本鉄道から養老鉄道が引き継いで今に繋がっています。
今でも通勤通学での利用者がとても多いようで大垣駅では田舎さの静かさを感じさせないほどの利用者で賑やかでした。
こちらは養老電鉄の切符販売機です。
右下には手回り品切符があります。
規定以上の荷物を持ち込んで乗車する際はこちらの切符の購入が必要となります。
しばらく車窓には田園風景が続き、続けて養老山地が見受けられます。
志賀直哉は大垣から養老方面に歩き、このような山々を見て像のような山が見えると言ったそうです。
本当に山々が像のように見えます。立派です。
そして、養老の滝を訪れ、養老電鉄に乗って大垣の方まで戻ったという日記があります。
1919年建造の養老駅 98年続く駅舎は養老らしい姿で皆様を歓迎
養老駅に到着して少し上を見上げてみると、目に飛び込んでくるのがこちらです。
天井からたくさんのひょうたんが私たちを出迎えてくれます。
養老には1300年伝わる滝のお水がお酒に変わったという孝子伝説があります。
そのお酒をひょうたんに汲んで持ち帰ったということからひょうたんが有名になりました。
帰路で駅構内のひょうたんを見ると、滝のお酒を持ち帰ってきたかのように感じることができます。
そして外へ出て駅舎を振り返ってみると
なんと立派な駅舎でしょうか。
こちらの木は桜の木だそうで春になると何とも言えない美しさを見せるのだそうです。
鬼瓦には養老の一字目であるYの文字が入っており特注の物であるといます。
養老の先、桑名までと池野の先、揖斐が開通し、全線開通の記念としてこの駅舎は建てられました。
その頃は駅前に人力車が20台ほど並んでいて観光客で賑わっていたとか。想像するだけでなんだかホッとします。
養老鉄道の発展に尽力し西濃地方の開発に灯をつけた恩人 立川勇次郎
1862年美濃国に生まれの立川勇次郎。
弁護士として開業するが時運の大勢を洞察し、実業家として電鉄・電力の企業化を決意しました。
そして川崎電気鉄道の建設に参画し、経営の代表者を務め、当時は画期的であった料金均一制度を実現させました。
さらに郷土である西濃を開発しようと1911年に養老鉄道会社を設立し、客馬車や人力、舟運に従事する人々から反対を受けながらも鉄道の必要性を説き続け、揖斐ー桑名間を開通させました。
さらに鉄道を電力化したことで、貨物輸送の充実や利用者の増加につながり、西濃地方が発展しました。
1925年8月16日、64歳でこの世を去りましたが、死を悼み1927年立川勇次郎の功績を讃えて養老駅前に巨岩の顕彰碑が建てられました。
立川勇次郎の顕彰碑は駅から徒歩2分ほどの場所にあり、腰がひっくり返りそうになるほど見上げてしまうほど大きな岩で建てられています。
その大きさが立川勇次郎の功績の大きさを示しているかのようにも感じられます。
そんな顕彰碑をみなさんも是非、ご覧ください。
養老は一つ一つに長い歴史を持ち、その歴史の深さが落ち着きのあるゆったりとした町の雰囲気を演出しています。
みなさんもそんな養老の深い歴史に触れ、いつもとは少し違う時間の流れを感じてみてはいかがでしょうか。