HISTRIP(ヒストリップ)|歴史的建造物に泊まろう

HISTRIP MAGAZINE icon HISTRIP MAGAZINE

ブラジル移民の歴史を刻む「 海外移住と文化の交流センター」へ

  • 1928年神戸港を出航した移民船に乗った移民者は、日本に別れを告げました。移民を乗せた船は、ブラジルへとたどり着きます。
    そんな移民にまつわる歴史を学べる海外移民と文化の交流センターが神戸北野にあります。そこでは、1908年からはじまった移民の歴史が語られています。移民の歴史を追って神戸の町を散策しましょう。

     

     

    1908年から始まった日本のブラジル移住の歴史

    01_kitano

     

    【日本人が移住した先は、なぜブラジルだったのか】
    日本からのブラジル移住は1908年から始まります。なぜブラジルという地が選ばれたのでしょうか。それは、世界史を見ればわかります。ちょうどアメリカで南北戦争が勃発していた時期。南北戦争は、奴隷解放を謳う北部の勝利に終わりました。この奴隷解放の波は南米にも押し寄せます。1888年に奴隷制度の廃止がブラジルでも実現されたのです。

    それまでアフリカ大陸からの奴隷によって支えられてきたブラジルの大規模農家でしたが、貴重な労働力であった奴隷がいなくなり、労働力不足に悩みはじめます。低単価で働いてくれる労働力の確保は難しく困難を極めていました。

    一方で、日本はこの時期、日露戦争に勝利。しかし賠償金が得られず、経済的に困窮していきます。景気も悪くなり、日本政府が国民を支えることができない状態でした。
    農奴解放によって労働力が足りないブラジル。不景気で労働者があふれていた日本。ちょうど需給が一致したのです。

    そうして日本人がブラジルに移住することとなりました。

     

    北野で移民の歴史を色濃く伝える「 海外移住と文化の交流センター」

     

    <01_kitano:海外移住の文化の交流センターの外観>

     

    JR・阪神電車の元町駅の東口より北へ歩くこと約15分。異人館通りとも呼ばれる山本通り沿いにベージュ色の立派な建物があります。ここが「海外移住と文化の交流センター」です。

     

    ブラジルの労働力を補うために日本人が移住していった1908年から20年後の1928年に、兵庫県神戸の北野町に、ブラジルに移住する前にワクチンを接種したり言語を学ぶための「国立移民収容所」は誕生しました。
    全国から集まってきた移住者が1週間から10日間ここで移住の準備をしながら、別れを惜しみ、はるかかなたの異国の地に思いを馳せたのでしょう。

     

    ここ、「海外移住と文化の交流センター」は、日本でただ1つ残った、「国立移民収容所」。移民船によるブラジル移住は、横浜からの最終船で1973年に終了しました。明治から現在までに、世界へ移住した日本人は合計で104万人、神戸からは約40万人でブラジルへは明治末から100年間に25万人と見られています。
    建物の前にはブラジル移民発祥の地と書かれた石碑がありました。

     

    <02_kitano: ブラジル移民発祥の地と書かれた石碑>

     

    中へ入ります。

     

    <03_kitano:海外移住の文化の交流センターの玄関>

     

    このセンターは2009年に開館されました。中は「移住ミュージアム」「地域に在住する外国人の支援」「国際芸術交流」の大きく3つに分かれています。今回はその中でもセンターの1、2階にある「移住ミュージアム」を訪れました。

     

    <04_kitano:移住ミュージアムの入り口>

     

     

    移民者が10日間を過ごした建物で当時に想いを馳せる

    <05_kitano:細江さんの写真>

     

    この移住ミュージアムを管理・運営されている日伯(にっぱく)協会の細江さんにお話を伺いながら、見学しました。
    この建物は1928年に国立移民収容所として開設されました。国立移民収容所と聞くとある小説を思い浮かべるかもしれません。そう、ここは第1回芥川賞を受賞した石川達三の『蒼氓』の舞台になった施設です。

     
    <06_kitano:石川達三の展示>

     

    石川達三も経験したここでの生活では、移住するための準備をしていたそうです。例えば、移住先の語学の研修を受けたり、出国のための手続きをしたりしていました。
    また、そうした準備期間中は施設内で寝泊りしていたそうで、居室も当時の様子が再現されています。ベッドは小さく所狭しと並んでおり、窮屈そうな印象を受けました。しかし、これは移住先まで向かうための長い洋上の生活が再現されており、それに慣れるために行っていたものと考えられるそうです。

     

    <07_kitano:収容所当時のパネル写真>

     

     

    <08_kitano:ベッドが並んでいる写真>

     

    ブラジルで使用されていた農具の展示もありました。
    ブラジルへ渡った日本人のほとんどはこうした農具を使用して、コーヒーの木を育てていたそうです。

    <09_kitano:農具の写真>

     

     

    <10_kitano:コーヒーの木の写真>

     

    当時の様子が写真や冊子だけでなく、映像でも残されていました。
    こうした資料が実際に移住者を送り出した場所で公開されているのは、ここが日本で唯一であるそうです。建物自体もできるだけ当時の面影を残しており、大変貴重です。

    <11_kitano:ビデオの写真>

     

    このように移住者たちにとって日本での最後の生活を知ることができ、同じ空間を体験することができる、移住ミュージアム。移住というあまり身近でないと思っていたことを、わかりやすく、身近に感じることができます。
    外へ出て歩いてきた道のりを見ました。鯉川筋をまっすぐ下るとメリケン波止場に行きつきます。移民者たちは、このルートを通ってメリケン波止場からサンパウロ州のサントス港へ向かう船に乗り向かいました。当時、この坂は「移民坂」と呼ばれていたそうです。
    所在地 : 兵庫県神戸市中央区山本通3丁目19-8

     

    <12_kitano:館内の写真>

     

    いかがでしたか。この「海外移住と文化の交流センター」では、ブラジルをはじめ多くの国々の発展に貢献した移住の歴史を、数多くのパネルや映像、資料によって案内されています。以外に知られていない移民者と神戸の関係。ぜひ一味違った神戸の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

     

     

     

    このマガジンにおすすめの目的地