日本初の西洋美術館!?岡山県倉敷市美観地区の大原美術館の魅力
岡山県倉敷市の美観地区に位置し、日本初の西洋美術館である大原美術館。
その館内には児島虎次郎の貴重な収集品や世界的に有名なモネの絵画など、一日いても見飽きることのない魅力的な作品が並びます。
実は、大原美術館の創設者である大原孫三郎と児島虎次郎が出会わなければ、大原美術館はこの世に存在することはありませんでした。そんな秘密にも迫りながら、大原美術館の魅力を徹底解説します!
この記事の目次
倉敷 大原美術館にある「睡蓮」 モネから直接買い付けた背景とは
江戸幕府の直轄領「天領」として栄えた倉敷。
中でも美観地区と呼ばれる一帯は、倉敷川の水運で活気ある商業地となりました。
今でもその面影が残る町並みの中に大原美術館はあります。
まるで神殿のような重厚な外観。
館内には西洋画家の児島虎次郎が集めたモネやルノワールといった巨匠たちの作品が展示されています。
見学していると、目の前に池が。モネの代表作「睡蓮」です。一面に広がる池に映し出される空や光、眺めれば眺めるほどその世界に魅了されます。
こちらの睡蓮は虎次郎がモネ本人から直接購入したものだそうです。モネが「日本の絵描きのために」といくつか作品を用意し、虎次郎がこの睡蓮を選びました。
そうした関わりから、ジヴェルニーにあるモネの庭に咲く睡蓮が株分けされて、この大原美術館へとやってきました。
夏には工芸・東洋館の入口を彩るモネの睡蓮。訪れた際にはぜひ作品と合わせて楽しみたいですね。
孫三郎と虎次郎の出会い 日本初の西洋美術館 大原美術館が倉敷に
大原美術館の創設者である大原孫三郎は倉敷の大地主の家に生まれた実業家で、事業発展はもちろん様々な社会事業にも取り組んでいました。
その一環で児島虎次郎は、孫三郎の援助を受けてヨーロッパに留学します。
その後も孫三郎の勧めで渡欧することとなった虎次郎。
主な目的は画業の研鑽でしたが、虎次郎はヨーロッパへ行く機会のない多くの日本の画家たちのために、西洋名画を日本へもたらすことの必要性を大原孫三郎に説いたのです。
そして「広く社会に意義あることを」と考えていた孫三郎は虎次郎の考えに賛同し、虎次郎はヨーロッパで多くの西洋絵画を購入することになりました。
1929年に47歳と若くして亡くなった虎次郎を偲び、孫三郎は大原美術館の建設を心に決めます。
それは虎次郎との親しい関係を示すものであり、「広く社会に意義あるものを」という孫三郎の考えの表れともいえます。
二人が出会わなければ大原美術館にある数々の名画を日本で観ることはなかったと思うと、感慨深いですね。
倉敷美観地区は夜の6時を過ぎると全体がライトアップされ、大原美術館も昼とは違う何やら幻想的な雰囲気を醸し出します。
お時間のある方はぜひ夜の雰囲気も味わってみてください。
倉敷 大原美術館と合わせて訪れたい名所 孫三郎の別邸 有隣荘
大原美術館から倉敷川を挟んだ向かいに緑色の屋根が見えます。こちらは大原孫三郎の別邸有隣荘(ゆうりんそう)です。
孫三郎が病弱の妻を思い建てた別邸であり、のちに来賓館としても利用されていました。来賓館としては昭和天皇をはじめ数々の賓客をもてなした歴史ある建物です。
特徴的な緑色の屋根は、職人の手によって特別に作られた緑色の泉州瓦が使われています。その瓦から付けられた呼称は「緑御殿」。立派な塀に囲まれ全貌を見ることはできませんが、外からでも十分その気品を感じさせます。
現在中に入れるのは春と秋の年2回。大原美術館が主催する特別展示会のみとなっているので、中を観たいという方は日程を確認してから訪れましょう。
美観地区の町並みに佇む芸術の館、大原美術館。
その見どころは芸術作品にとどまらず、建物そのものやその背後にある歴史を物語る睡蓮など数えきれません。
ぜひ倉敷を訪れたら、大原美術館に足を運んでみてください。