茅葺き屋根に入母屋造り 伝統技術を引き継ぐ茨城笠間の歴史を辿る
「建築なんて興味ない!」そう思っている方こそ旅してほしい町が茨城県笠間市です。
きっと旅した後は建築の歴史・職人の方々へも興味が湧いていることでしょう。
昔の人の技術を感じ、現存する歴史的建築物へ想いを馳せてみてください。
この記事の目次
山奥にひっそり隠れた枯山水 春風を萬里で感じ北大路魯山人を想う
笠間駅から車で5分進み、入り組んだ坂を上り、民家を抜けると昔ながらの趣ある門が現れます。
陶芸家・篆刻家・料理研究家・書家・画家など多方面で才能を発揮し、「万能の異才」と謳われた北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)の住居を、1965年北鎌倉より移設したのが、この「春風萬里荘」(しゅんぷうばんりそう)です。
この茅葺き入母屋造りの民家は江戸時代中期に建てられました。現在の神奈川県厚木市・高座郡御所見村の豪族で大庄屋でもあった伊東家の母屋であったものを、昭和の初めに北大路魯山人が北鎌倉にひらいた星岡窯の母屋として、もう一軒の慶雲閣と共に移築し、自らの住居としていたものです。
入母屋造りは、寄棟造の上に切妻造を載せた屋根の形をしていますが、古くから寄棟屋根より尊ばれてきた切妻屋根、その両方を併せ持つ入母屋造は、もっとも格式が高い形式として重んじられてきたものだそうです。
また、茅葺きは現代の建築技術と比べても断熱性・保温性・雨仕舞・通気性・吸音性が優れており、茅葺き入母屋造りの民家は、昔の人々の建築技術・美しさを感じることができる建物といえます。
敷地内には江戸時代の豪農屋敷の長屋門、茶室「夢境庵」、京都・龍安寺を模してつくられた枯山水の石庭、睡蓮の池にかかる太鼓橋、庭には桜、梅、つつじ、もみじ、花菖蒲なども植えられているので、四季それぞれに全く異なった風景を見れそうです。
室内には、魯山人ゆかりの作品やステンドグラス、使っていたお風呂、居間などを見ることができ、彼についてあまり知らない方でも充分楽しむことができます!
茶房「春風庵」では、抹茶やコーヒー、紅茶、あんみつなどを楽しめ、特に抹茶を注文すると干菓子と共に枯山水を眺めながらくつろぐこともできます。
一緒に眺めている方と交流を持ってみると、皆さんとても優しく気品にあふれた方々ばかりでした。
茶室「夢境庵」は、千利休の孫・千宋旦が作った裏千家の名茶室「又隠」を手本とし、魯山人が自ら設計した茶室です。
この茶室では年に数回お茶会も開かれており、魯山人も飲んでいたであろうお抹茶を、同じ茶室で味わえます!
生涯笠間の芸術家・田中嘉三 少しの命とともにたたずむ 彼を訪ねる
春風萬里荘から坂を1分ほど歩くと、ひっそりと佇んだ白壁の風情ある美術館が現れます。
「田中嘉三記念館」は、1909年笠間市で生まれ1967年笠間市で生涯を閉じた日本画家・田中嘉三の遺族によって、1978年に建てられた私設の美術館です。
嘉三は14才で木村武山の内弟子となり、後に数々の展覧会で賞を受賞しました。
「今少し命をください」と、自らの手のスケッチを残し58歳という若さで病死しました。
自分の「死」に直面しながらも、ことさら明るく振舞っていた嘉三。しかし、ある時枕元にあったスケッチブックを開いた瞬間、まるでハンマーで殴られたような衝撃と「手」のスケッチが飛び込み、涙と嗚咽を知られまいと病室を飛び出したそうです。
この記念館は、強く生きたいと願った嘉三の想いと、その願いを受け取り10年かけて建てた妻と4人の息子の想いが詰まった場所でした。
嘉三は、日本美術院・院賞首席受賞の「一字金輪仏」や、58歳で絶筆となった「胎蔵諸尊」など多くの代表作を残しています。
記念館には14歳~58歳までに手掛けた作品が所蔵されていて、スケッチや模写、愛読書、絵の具などの愛用の品々も展示されています。
隣接された喫茶店では、嘉三の息子であるもの優しいおじさんがコーヒーや食事を出してくれます。
同所にある「阿修羅窯」では粘土で手びねり体験をすることもでき、看板猫ならぬ看板ニワトリがいて、訪れた人をお出迎えしています。
訪れた方は口々に、「こんなに近くに二カ所も興味深い場所があって、歩いて回るのもいいわね」とおっしゃっていました。
春風萬里荘、田中嘉三記念館はかなり近くにあるので、短い間により多くの歴史・想いに触れることができます。
銀杏の絶景!親鸞も愛した自然豊かな浄土真宗発祥の地 稲田西念寺
「稲田御坊」の名で親しまれている稲田禅房西念寺は、親鸞聖人が恵信尼公とともに約20年過ごした浄土真宗発祥の地です。
1207年越前に流罪となった親鸞は、1214年常陸国稲田の領主であった稲田九郎頼重(仏教に帰依したとされる初代笠間城主・笠間時朝の叔父)の招きに応じ、浄土真宗の根元聖典である「教行信証」を執筆しつつ、関東布教を進めた「稲田草庵」へ移ります。
入り口にある茅葺きの山門は室町初期頃の建立です。
境内には、親鸞が植えたとされる樹齢300年以上の「お葉つき銀杏」(県指定天然記念物)、杖を地に刺したら根が生えて大木になったと言われる「御杖杉」、本堂向かって右手にある石段を登っていくと、鐘楼を始め親鸞が尊敬した聖徳太子を祭った「太子堂」、ご遺骨の一部が眠る「御頂骨堂」(別名六角堂)などがあります。
お葉つき銀杏は秋になると見事に紅葉し、黄色の絨毯が美しく広がります。
11月頃からは、その年に収穫された庵田米も販売していて、季節の移り変わりを楽しむことができます!
職人泣かせの分棟型の茅葺屋根 歴史あふれた国重要文化財・塙家住宅
“国道を進んでいくと、民家に紛れてこの塙家住宅は佇んでいます。思いのほか見逃しやすいので注意です!
また、駐車場などはなく塙さんが住む住宅敷地内にあるので、車の場合は路上駐車して行きましょう。
1602年、江戸時代に建てられた家屋は、外観は曲屋に似ていますが、よく見ると独立した2棟が接し建っている「分棟型」と言われる住宅です。
住宅の前には笠間市の教育委員会が建てた説明書きがあるので読んでみると、この「分棟型」といわれるタイプは本来「黒潮のみち」に沿って沖縄や鹿児島、西日本中心に分布しているものだそうです。
そのため、関東地方における分棟型民家の中で、土間部・床上部が同棟に造られた内陸部にある唯一の珍しい民家として1976年、国の重要文化財に指定されました。
文化財に指定される前は、天井板がつけられ住みやすく改装されていましたが、歴史を残す貴重な展示物として修元工事が施されました。
家の中の見学も可能で、間近にじっくりと昔の人が住んでいた歴史ただよう母屋を眺めることができます!
現在も数年に一度、茅葺き職人によって葺き替えが行われています。
今となっては数少ない茅葺き民家、そして職人も少なくなっていますが、これからも日本の歴史を伝える建物を残していきたいものですね。
茅葺き屋根の造りは、親方によって同じ茨城県内筑波流といえども、仕上げ方が異なります。
お互い「俺らが一番だ」と譲らず競い合った結果、同じ造りでも様々なデザインが発達しました。
残された建物を見ながら、職人の仕事ぶりや性格に思いをはせてみると、また違った気づきがありそうですね!